フェラーリ 250GTO

(2008年 8月24日記載)

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 さて、最近のスモール・スーパーカーのシリーズを前回で終え、今回から再び過去の名スポーツカー達を取り上げていきたい。

 今回取り上げるのは、フェラーリの250GTO。フェラーリ・マニアでなくとも、名車好きやスポーツカー・マニアなら、知らぬ人は無いと言う"名車中の名車"と言っても過言ではない。以前、フェラーリの歴史を振り返る中でチラッと250GTOにも少しだけ触れたが、今回はじっくりと見てみたい。

 250GTOは、しばしばフェラーリの最高傑作とも目される。最も美しいフェラーリかどうかと言う問いに関しては僕には何とも言えないが、往年のフェラーリを象徴する車である事は間違いないだろう。
 250GTOを述べるには、250シリーズについて述べておく必要があると思う。1950年代中頃、フェラーリ社は「公道用スポーツカーである250エウロパGTのレーシングバージョンを作り上げる」と言う新しいプロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトによって、1955年に250GTベルリネッタ(※後にTDF=ツール・ド・フランスと呼ばれる)が完成した。このモデルは、実施的に1952年に登場した250MMに代わるモデルである。ちなみに、250と言う数字は、12気筒エンジンの1気筒あたり約250ccと言う意味である。
 しかし、さすがにフェラーリ。250GTは、年によって出来、不出来があった(笑)が、1957年と1958年のモデルは最高の出来だった。このモデルを作成したのは、スカリエッティ。巧みな技術によって形作られたボディは、多くのファンを生んだ。ボディは美しいだけでなく、3リッター(2953cc)のV型(60度)12気筒エンジンの250psのパワーによって、240km/hで走るように設計されていた(※1950年代で240km/hってあなた!)。これはカタログ値ではなく、実際にワークスドライバーが260km/hを記録している事で、オーバースペックでは無い事が証明されている。サスは、フロントがダブルウィッシュボーン、リヤがリジットアスクル。ブレーキは、ドラム式だった。
 フェラーリ社は、この250GTベルリネッタを、高性能な走りを求める裕福な人々に提供する事を考えた。こうして市販されたTDFと呼ばれる250GTは、大きなレースだけでなく、小さなレースでも活躍する事となっていく。
 1958年には、ワールド・スポーツカー・チャンピオンシップを獲得すべく、250GTのエンジンを改良した3リッターV12気筒エンジンを搭載した250TR(=テスタロッサの事)を作り上げた。"テスタロッサ"とは"赤い頭"の意味で、エンジンのヘッド部分が赤く塗られていたために付いた名前である。250TRは、プライベートドライバーにも販売された。このマシンは、1958年と1960年にワールド・チャンピオン・タイトルを獲得した(※1959年は不運で2位)。

フェラーリ250GTO(御殿場・フェラーリ美術館にて)

 さて、いよいよ、250GTに"O"の文字を加えた"250GTO"が、1962年にマラネロでプレス公開された。"O"とは、イタリアのオモロガート(=ホモロゲーションを得た事を示す)を意味する。つまり、ホモロゲーションを得たグラン・ツーリスモ・マシンと言う事である。
 設計責任者はジオット・ビッザリーニ、マシンをまとめ上げたのはマウロ・フォリギエリ、ボディ製造はセルジオ・スカリエッティ。特にビッザリーニは、自動車史に名を刻むカリスマ的鬼才である。ビッザリーニを含めた8人のスタッフがフェラーリを退社してしまうと言う大きな問題が発生したが、フォリギエリは成果を示し250GTOをまとめ上げたのである。
 250GTOの搭載エンジンは、3リッターV12気筒エンジンを継承し、パワーは300ps。車重僅か900kgのボディを280km/hまで引っ張った。250GTOの最大の注目点は、V12エンジンの搭載位置を後方へずらして、フロントミッドシップ・レイアウトにした事だ。今では当たり前の考え方だが、当時では革新的だった。こうして、前後の重量配分のバランスが理想的な物に近づいたのである。これにより、フロントノーズも薄く仕上げる事が可能となり、空力性能も大きく向上した。モデナのヴァッカーリの技術協力を得た楕円形チューブラーフレームにより、シャシーの剛性も格段に増した。
 サスペンション形式は、TRと同じくフロントがダブルウィッシュボーンでリヤがリジットアスクルだったが、ブレーキはディスク式に改められた。
 先進的なアルミ・ボディは、フェラーリ社内のオリジナルで、他車種のようにデザインしたカロッツェリアは存在しない。風洞実験やテスト走行を繰り返すうちに、各部に大きな変更が加えられていき、最終的に現在我々が目にする事ができる"先進的なデザイン"に昇華した。ラジエーターグリル上側に3つのエアーインテークがあり、そしてダウンフォースを得るためのダックテール(※これらの斬新な空力フォルムは、シェルビー率いるフォード陣営にコピーされ、デイトナ・コブラにも用いられる)。
 こうして誕生した250GTOは、GTカテゴリーでは無敵を誇り、1962~1964年まで3年連続でメイクスタイトルをフェラーリにもたらした。

フェラーリ250GTO(3/4CUTMODEL/フェラーリ美術館にて)

 250GTOの後継車として、250LM(=LeMAN/ル・マンの事)が登場する。ピニンファリーナの美しいボディをまとった、ミッドシップのGTカーである。ところが、CSI(イタリア自動車連盟)はホモロゲーション(※参加資格)のため製造台数100台以上を果たすよう要求し、「250LMは250GTOの進化版であり、総計100台以上になる」とのフェラーリの主張を退けた。250LMが、フロントエンジンからミッドシップエンジンになっていたためフェラーリの主張には無理があったが、エンツィオは憤慨し、"FIA/CSI"と"イタリア自動車連盟"を糾弾した。結局、250LMはGTカテゴリーではなく、強力なライバルのひしめくプロトタイプカテゴリーに参戦さぜるを得なくなってしまった。
 そのような騒ぎの元になった250LMだが、後にエンジンを3.3リッターにアップし、数々のレースで好成績を残した他、いくつかのレースでは優勝し、1965年のル・マン24時間レースでは"劇的な勝利"を上げた。250LMの信頼性・耐久性の高さは間違いなく一級品で、1970年頃まで世界中のレースで好成績を挙げ続けたのである。

 いずれのフェラーリ250も、今や高価なコレクターズ・アイテムとしてマニア達に大事に保管されている。万が一、世界のどこかの街中で走行しているフェラーリ250を見る機会があったとしたら、それは間違いなくラッキーな事であろう(^o^)。













マイコレクションより"フェラーリ250GTO"

マイコレクションより"フェラーリ250GTO"

 マイコレクションより"フェラーリ250GTカリフォルニア"

マイコレクションより"フェラーリ250TR"

マイコレクションより"フェラーリ250LM"

マイコレクションより"フェラーリ166MM"

マイコレクションより"フェラーリ125S"


参考・引用文献
フェラーリ・コレクション   (アシェットコレクション)
フェラーリ美術館説明プレート


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