シボレー・コルベット

(2007年7月22日記載)

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 アメリカン・スポーツカーを取り上げるシリーズの2回目は、シボレー・コルベット。アメリカン・マッスルスポーツカーの象徴"コルベット"。僕らの世代では、コルベット・スティングレーとして記憶に刻まれている。ヨーロッパのスーパーカーを好きな少年達も、このコルベットのマッシブなデザインには一目置いていた。そんな訳で、今回はやや詳細気味に説明してしまいます。

 小学生の頃市内で撮影したコルベット

 さて、コルベットの歴史は第二次世界大戦に遡る。大戦後、アメリカの兵士達は英国製スポーツカーに魅了された。英国製スポーツカー…MG、トライアンフ、ジャガー、オースチン・ヒーレー等…はボディもエンジンもアメリカ製のものより小さかったが、軽快なスタイルや小気味良い走りが、兵士達の心を捕らえたのである。更に、ヨーロッパのアルファ・ロメオやメルセデス・ベンツ等も加わり、アメリカでの2シーター・スポーツカー(ロードスター・タイプ)の人気は高まった。そんな影響を受け、アメリカでも小さなコンストラクターが小さなスポーツカーを送り出した。しかし、大メーカーのほとんどは、この状況を冷ややかな目で見ていた。
 が、当時アメリカでナンバー1だったGM(ゼネラル・モーターズ)だけは違っていた。1932年にGMに入社したハーリー・J・アールは、シボレー・デビィジョン(※注:シボレーはGM下のブランド)のチーフ・エンジニアのエドワード・コールに話を持ちかけた。シボレー内の保守的な考え方にあって、コールだけはシボレーのイメージを変えようとしていた。そして、コールはアールの提案に乗り、スポーツカー・プロジェクトを推進した。開発メンバーに入ったロバート・F・マクリーンに、デザインを一任した。入社したばかりのマクリーンだが、スポーツカーをこよなく愛し、革新的なアイディアを豊富に持ち合わせていた。
 1952年4月、革新的なパッケージ・アイディアと実物大のクレイ・モデルが完成し、GM社長とゼネラル・マネージャーにこのコンセプトを売り込んだ。トップの二人は、このプロジェクトを大いに気に入った。翌年のモーターショーへ出展を命じ、こうしてプロトタイプを制作する段階になった。
 開発コードEX-122。スポーツカーらしい運動性能を手に入れるため、多くのパーツが専用設計となった。フレームはゼロからの設計で、X字型メンバーでサイドメンバーをつなぎ高い剛性を確保し、シャフトドライブを上に通して低重心化にも苦心した。一方、サスは従来のパーツの流用で、フロントはダブル・ウィッシュボーンとコイル・スプリングの組み合わせの独立懸架。リヤはリジット・アクスルを左右の2本の半楕円リーフで吊ったオーソドックスなタイプ。またステアリングも流用でかつブレーキも4輪ともドラムだったが、ステアリングはギア比が速められ、ドラムやマスター・シリンダーの径を拡大して制動性も高めた。エンジンは、3,850ccの直列6気筒OHV(出力は115ps)の圧縮比を上げて、キャブレターを3基に増やして、150psにまでアップした。
 こうして、1953年1月、ニューヨークで"モトラマ"モーターショーにて、彼らが作った車"EX-122"が披露された。名前は、"シボレー・コルベット"。フロントマスクの上には、シボレーのマークとチェッカード・フラッグを組み合わせたエンブレムと共に、Corvetteの文字が入った。フロント・フェンダー後方には、Chevroletの文字があしらわれていた。"コルベット"とは、第二次大戦中に活躍した海軍の小型快速艇の事である。

初代コルベット(隣町にて)
↑こんな貴重な初代コルベットが、露天駐車場で野ざらしに…何故!?

上記コルベットのエンブレム

 ショーでの反響は予想以上で、GMは翌年から生産開始するつもりだったが、年内に生産着手せねばならなくなった。このため、大幅に設計変更された。プロトタイプは軽量のFRPボディで、量産車はスティール・ボディの予定だったが設備が間に合わず、市販車もFRPボディになった。型には、モックアップの石膏型がそのまま使われた。6月30日には量産がスタートし、9月29日に報道向け発表がされた。
 全長は4,249mm(全幅1,772mm、全高は1,308mm)、重量は1,310kg。カラーはホワイト、インテリアはレッド。プロトタイプとの違いは、マークの下のCorvetteの文字が消え、フロント・フェンダー後方の飾りがリヤ・フェンダーまで延長され、Chevroletの文字は上に移された。ギア・ボックスは2段オートマティックのみで、最高速は168km/hと言われた。価格は、3,498ドル。
 デビューからわずか3ヵ月後の1953年12月に、コルベットは1954年モデルに移行した。フリント工場での手作業に近い低効率を、セントルイス工場に専用ラインを造って生産能力のアップを図った。外注のボディパネルも、工場内で行われるようになった。ホワイトのボディ・カラーに加えて、ブルー、レッド、ブラックも加わった(※カラーリングはその後も増えて行く)。エンジンパワーは、155psにアップした。以後も、順次細かに手が入れられていった。生産効率は上がり、価格は2,774ドルまで下がった。
 1954年のモトラマでは、コルベットをベースにした"デタッチャブルトップ"、"ファストバック・クーペ"、"ノーマッド(※スポーツワゴン)"の3つのボディ・タイプが発表された。一方、フォードが同コンセプトの"サンダーバード"をデビューさせたため、コルベットは誕生直後にいきなり前途多難な状況を迎えた。
 前述のアールは、コルベットをリファインした。またま1953年に入社したばかりの(コルベットをこよなく愛する)ゾーラ・アーカス・ダントフを、開発に任命した。彼は早速仕事にとりかかり、各種チューンとリファインを行った。シボレーが開発中のV8エンジンに白羽の矢を立て、採用した。結果、コルベットは195psのビックパワーを手に入れた。最高速度は、192km/hにアップした。エンジンの重量が減り、前後の重量配分は52対48とより理想に近いものになった。トランスミッションには、3速マニュアルも加わった。その他、細かな変更が加えられた。
 翌1955年には、エンジン・パワーは210psにアップ。オプション設定で、225psと240psの高性能版もあった。1956年モデルは、外観も変わり、カラーは2トーンも用意された。全体的に、よりスポーツカーらしい躍動感のあるデザインになった。全長は4,267mmと若干拡大され、車重も1,291kgと少し増えた。サイドウィンドゥは巻上げ式となり、エンブレムは大きくなりリヤにも着いた。純正のハードトップも用意され、ソフトトップには電動開閉式も選択可能になった。マイナーチェンジに従い価格も上昇していったが、売れ行きは順調だった。
 その後も、初期型のコルベットは細かにリファインが繰り返され、コルベットは本格的なスポーツカーへの道を辿っていった。エンジンも、出力を増していった。1957年に装着されたフューエル・インジェクションのタイプは、250psと283psに達した。後者は、最高速200km/hに達している。1957年には、本格的レーシング・モデル"コルベットSS"も造られた。1958年モデルは、4灯式のヘッドライト・ランプを取り入れた。グリル周りのフェイスも変わった。エンブレムは、更に大きくなった。全長は4,500mmと大きくなり、車重も1,328kgに達していた。価格も高くなっていくが、それでも販売は好調だった。その後も改良、エンジンのパワーアップは続く。最大のライバル"サンダーバード"が4シーターに移行したため、アメリカン・2シータースポーツカーは再びコルベットonlyとなった。
 しかし、明らかにオーバーデコレーション(※飾り過ぎ)になったコルベットは、一部のファンには不評だった。で、1959年モデルからはダミーのルーバーやクロームモール等が消滅した。メカニズムも細かい改良が施され、着実に進化していた。続く1960年モデルは、初めて年間生産台数が1万台(※10,939台)を超えた。1961年には、4度目のマイナーチェンジを行った。リヤ周りのデザインが、大幅に変更された。1962年型は、排気量がアップされ、ベース・エンジンで250ps、高出力版では、300ps、340ps、360psに達していた(※エンジンのラインナップは4種)。価格は当然上がったが、販売は14,531台と言う最高記録を達成し、コルベット初期型の有終の日を飾った。

 第二世代コルベット(世界の名車コレクション77にて)
↑当時、ストロボの設定を間違いこんな写真になってしまいました(^_^;;)。
&ヒストリーガレージで撮影した貴重な'63年型コルベットのデータも消えました…2代目とは縁が薄いようです(涙)。


2008年1月追記:(データの消えたコルベットを撮影するために)お台場ヒストリーガレージに立ち寄り、63年型のコルベット・ステイングレイを再撮影しました!スーパーカー世代の根性です。


 さて、人気を博したコルベットだが、1958年にGMスタイリング部門チーフの座は、アールからビル・ミッチェルに受け継がれた。ミッチェルは、コルベットをベースに特別なモデルコルベットSSの後継車"スティングレー・レーサー"を開発した(※スティングレイとは"赤エイ"の事)。スティングレー・レーサーは、ジャガーやマセラティ、ポルシェと言ったヨーロッパのライバルを相手に、レースで何度も勝利を重ねた。
 2代目コルベットのスタイルは、このスティングレイ・レーサーがベースとなっている。しかし、スポーツカーで優位であるエンジンのミッドシップ採用は見送られた。スタイリングや当時のテクノロジーでは、デメリットになると考えられたからだ。ヘッドライトは、格納式とされた(※リトラクターではなく、ユニットが180度回転する機構)。シャシーの開発でも、意欲的なメカニズムが投入された。リヤ・サスペンションにも、独立懸架方式が採用された。ただし、ブレーキはやはりディスクではなく、1台目と同様前後ともドラム式で、ステアリングも旧型を引き継いだ。フレーム設計にはコンピューターが活用され、X型からオーソドックスなラダー型に変更になった。前後の重量配分は、フロント・エンジンにも関わらず、47対53とリヤが重くなっている。
 こうして開発された2代目コルベットは、1962年のパリ・サロンでデビューした。全長4,447mm(全幅1,767mm、全高1,264mm)で重量1,368kgは、旧型よりコンパクトで軽量だった。そして、何よりもそのスタイリングが、会場の人々の目を釘付けにした。搭載されるV8エンジンの出力は250ps、ハイパワー版が、300、340、360psの4種類。価格は、クーペが4,257ドル、コンバーティブルが4,037ドルだった。
 1963年モデルのコルベットは、とにかく売れた。年間販売台数は2万台を突破(21,513台)した。この年には、スティングレー・レーサーを受け継ぐコルベットGS(グランド・スポーツ)が5台造られた。1964年モデルでは、2分割されていたリヤ・ウィンドウが一枚になった(※後にこの分割した1963年タイプのスプリット・タイプのコルベットがマニアに珍重されることになった)。これ以外にも、細かな変更が施された。エンジンもパワーアップされた。
 その後も、リファインが繰り返されていき、エンジン出力は伸び、販売台数は順調に増え、1966年の販売台数は27,720台とまたもや新記録を達成した。ちなみに1967年のモデルでは、エンジンの出力は(ただし排気量や設計は別タイプ)、300ps、350ps、390ps、400ps、435ps、430psだった(※ただし最後の430psのバージョンは意図的に抑えた数値で、チューンによって楽に500psを超えることができた)。レーシングバージョンの最高速度は、275km/hに達したと言う。エンジンは、初期型の3.8リッターの直列6気筒エンジンから(V8型への変更を経て)、4.6、5.3、6.4、7.0、7.4リッターと排気量が増え(※ただし後三つはハイパワー版)、パワーも初期型の150psから430psオーバー(※ノーマルは300ps)までパワーアップしたのである。
 しかし、この隆盛を誇ったコルベットも、5年の歳月のうちに販売も落ちていくようになり、12年ぶりに前年販売台数を下回り、前年だけでなく2年前の売り上げ台数以下の販売台数に落ちてしまうようになった。ユーザーは、新型を欲していた。

 第三世代コルベット(地元市内にて)

 そして、いよいよ3代目コルベットの登場である。私達スーパー世代が、最も親しみを感じているのが、この3代目コルベットである。
 3代目コルベットは、強烈なコーク・ボトルラインを纏って、1968年に登場。ボディは、クーペ、コンパーチブル、2分割タルガルーフの3種類。基本のシャシーやエンジンは、2代目を踏襲。1969年、排気量を5,358ccから5,735ccに拡大したが、エンジンのスペックは変わらず。当然、先代と同様にレース用のハイパワー版も用意された。1970年のオプション設定エンジンは、5.7リッターの350ps、370ps、7.4リッターの390ps。このように先代からのレース志向が続いたが、オイル・ショック到来により路線変更。公害、衝突安全等への対策が、世界中の自動車メーカーに求められるようになった。コルベットとて、例外では無かった。

 1970年型コルベット(石川県・日本自動車博物館にて)

 1971年、排ガス規制強化に伴い、レギュラーエンジンに対応すべくエンジンが変更された。エンジンも、300psから270psにダウンした。オプション設定のハイパワー版も、それぞれ390ps→365ps、350ps→330psとダウンした。しかし、レース仕様に対応でるオプションは充実させ、7.4リッターの425psのエンジンを新たにラインナップした。
 1972年からは、最高出力表示の方法が変わり(※グロス表示からネット表示へ)、それぞれ200ps、270ps、255psとのパワー表示になった。レース仕様のハイパワー版は、排ガス問題や交通事故への批判で廃止されてしまった。V8エンジンをミッドに載せた念願のコンセプトカーも公開されたが、これもオイル・ショックの影響で、市販化はされなかった。
 1973年からは、3代目は、アイアン・バンパーを捨てた。最高出力は、180ps(ネット表示)まで下がった。オプションのエンジンも、210ps版onlyとなった。こうして、3代目コルベットは、ファンにはかなり物足りないスポーツカーに退化しつつあった。
 1978年には、マイナーチェンジされた。1981年には、オプション設定のエンジンは廃止された。また、コルベットの生産拠点は、セントルイス工場から、ボーリンググリーン工場へと移った。
 3代目最後となる1982年型のエンジンは、200psへとパワーアップ。新型の開発作業が遅れたため、1983年コルベットはカタログからラインナップ落ちする破目になる。かつての隆盛を誇った"名スポーツカー"としては、非常に寂しい状況だった…。

 第三世代コルベット・コンバーチブル(品川区内にて)

リトラクターを開いたコルベット(秋葉原にて)


 さて、コルベットは、1984年に4代目コルベットにその座を譲った。全長4,490mm(全幅1,835mm、全高1200mm)のボディのエクステリア・デザインは、はっきり言ってしまえば"やや凡庸"。個人的には、アメリカンなボディ・スタイルから、若干ヨーロピアン・スポーツカーのスタイルに近寄った気がするデザイン、そんな外観になった(※もっとも1970年代後半から1980年のスポーツカーのデザインは日本も同様で、フェアレディZもスープラも&その他もフォルムのテイストは4代目コルベットと大同小異)。このコルベット、1991年に大掛かりなフェイスリフトを受ける。
 しかし、性能の面では、熟成に域に達しつつあったようだ。フレームは、ラダーフレーから、角断面鋼管とセミモノコックを組み合わせたユニフレームに進化。サスは、フロントはダブルウィッシュボーン方式を踏襲したが、リヤは5リンクで、前後ともスプリングはファイバーグラス製を採用。軽量化のために、ボディにはアルミや軽量化素材が用いられた。エンジンは、5.7リッターV8を踏襲。パワーは、205ps~240ps(1992年には300psのエンジンに換装された)。GM初のDOHCエンジンを積むコルベットZR-1は、400psオーバーを誇った。このタイプには、ロータス社と提携した専用チューンドサスが奢られ、ハードな走行にも耐えた。また、330psのエンジンを積むグランスポーツと言う最終モデルもあった。
 外観は地味目だが、上記のように性能の面ではかなりの高性能を誇った。半世紀の間破られる事のなかった"24時間スピード世界記録"を破った。また5000km24時間最速記録、5000マイル24時間最速記録等、数々の世界記録を打ち立てた。4代目コルベットは、先代達と比べると一見地味だが、じつはただ者ではなかったのである。
 この4代目の1984年式コルベットは、51,547台が生産された。

第四世代コルベット・コンバーチブル(地元市内にて)

 上記コルベットのエンブレム


 さて、コルベットも5代目ともなると、もうかなり最近な感じがする。1997年に登場した5代目コルベット。13年ぶりのフル・モデルチェンジである。全長は4,555mmと、歴代コルベットの中で最も大きい(全幅1,870mm、全高1,203mm)。車重も1,470kgとなる。デザインは、先代車よりも少し丸みを帯び、よりマッシブさ、マッスルさを増したエクステリアデザインに感じられる。コンバーチブルとクーペの2種のボディのラインナップ。
 しかし、これまでのコルベットの中で、最も画期的な先進技術を継ぎ込んだマシンが、この5代目なのである。4代目も先代達に比べて高性能を誇ったが、5代目は新境地を切り開いたとも言われる。トランス・ミッションは、リア・アクスルに配置するトランス・アクスル方式を採用し、車の前後バランスを51対49と理想に近づけた。エンジンは、シボレー初のオール・アルミエンジンを採用し、軽量と高剛性を確保。フレームには、新形成技術を用いている。車の挙動を安定させるアクティブ・ハンドリング・システムも採用。サスは、4輪ともダブルウィッシュボーンを採用。4速ATが基本だが、6速MTとスペシャル・サスを組み合わせたZ51もある。価格は、589万~699万円。
 355psのパワーと51.8kg-mのトルクがもたらす加速感と、コルベットならではのエンジン音は、ファンを魅了する。ハンドリングはかなりクイックで、本気の走りを堪能できる。5代目コルベットは、そんなマシンであるらしい。

 第五世代コルベット・コンバーチブル(新宿区内にて)

 スポコン仕様五代目コルベット(台東区内にて)


 そして、2004年、遂に6代目のコルベットがデビューした。この6代目、ファンからはけっこう指示されているとの事。デザインは、先代よりもアグレッシブになった気がする。回転式ないしリトラクター式のライトを止めて、固定式のライトとしたのも大きな変更の一つ。全長は4,455mm(全幅1,860mm、全高1,250mm)と、先代より少し縮まっている。車重は、1,500kgとなる。
 6代目のエンジンパワーは特筆物で、6リッターのDOHC・V8エンジンは404psのビッグ・パワーと、55.6kg-mのビッグ・トルクを発生する。このトルクは、アクセルを踏んで「笑ってしまう」ほどだと言う。しかしそう言いながらも、いたってスムーズに回転を上げるのも特徴との事。2006年に発売された7リッターエンジン搭載のZ06と言うタイプは、なんと511psのパワーを発揮する!また、2006年モデルからは、6速パドルシフト付きATを採用している。
 これだけのハイパフォーマンスカーでありながら、ピーキーさはなく、無駄な動きも省かれ、意外にも乗りやすいのがこの6代目のコルベットの凄いところであるらしい。ちなみに2シータースポーツカーでありながら、ラゲッジスペースはゴルフバックが2つも入ると言う(!)。実用性も捨てた物ではない。
 これだけの高性能車でありながら、価格は698万~945万。土俵が違うので一概にフェラーリやランボとは比べられないが、すごくお買い得感がある感じがするのは、気のせいだろうか?この6代目コルベット、ぜひ運転してみたい気がする。

 第六世代コルベット(千代田区内にて)

 後方から見た六代目コルベット(千代田区内にて)


 さて、コルベットはしばらくはこの6代目が進化していくのだろうが、長い年月の間に、コルベットはかなり熟成した感がある。どんな車も、初期バージョンなんて欠陥(※欠陥というと言い過ぎかな…正確には欠点)だらけがほとんど。2代目、3代目と進化するにしたがってデータが蓄積され、欠点が一つ一つ潰され、技術も進化し、そして優れたマシンへと昇華していくのだ。そこに行き着くまでに挫折して消滅してしまうマシンも多々あるが、コルベットはその長い"精錬過程"を得たマシンだけに、コルベット独自の理想形に近づけたのかもしれない。どの車も決して"完成形"と言うのは無いのかもかもしれないが、コルベットは確実に進化してきた。人がどう言おうと自分の道を信じて突き進み続けたものだけが体得できる"オーラ"や"something""を、コルベットは持っている気がする。そして、同系列のシボレー・カマロやポンティアック・ファイヤーバードが生産終了してしまった今、アメリカン・スポーツカーのど真ん中を行くシボレー・コルベットへ注がれるファンの眼差しもまた熱いのだった。



2016年11月7日追記:サイクリング中に、超ビンテージなコルベットを見ました。かっこよくて美しいです。

 

 


2017年7月15日追記:サイクリングで、栃木県の魔法陣スーパーカーミュージアムに行き、初代コルベットを見ました。4灯化された1958年のタイプです。




2019年12月22日追記:子どもの頃撮影したモノクロームのコルベットの写真をCGでカラーライズしました。













 マイコレクションより"1963年型コルベット"

 マイコレクションより"コルベット・スティングレー"

 うちの子のコルベットのミニカー

参考・引用文献
シボレー・コルベット      (カーコレクション/デルプラド)
国産・輸入車全モデル購入ガイド (JAF出版)
各種HP


シボレー・コルベットのすべて―名車アーカイブ (モーターファン別冊 名車アーカイブ)

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