デ・トマソ・パンテーラ

(2007年1月21日記載)

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 デ・トマソ・パンテーラ。この名は、スーパーカー世代には馴染み深い名前だ。スーパーカーには違いないのだが、フェラーリやランボルギーニと比較すると、我々子供には今ひとつメジャー感が薄かった気がする。とは言っても、そこはやはりスーパーカー、街中で目にする機会はほとんど無かった。かく言う僕も、実車を目にしたのは過去4回のみである(※2007年1月現在)。
 前回のアストン・マーティン同様、今後デ・トマソ社の車を取り上げる機会が無いかもしれないので、デ・トマソ社の歴史についても軽く触れながら、パンテーラを紹介していきたい。

 パンテーラGTS(世界の名車コレクション'77にて)

 デ・トマソ社の創立者は、アレッサンドロ・デ・トマソ。彼の半生は、ハリウッド映画や大河ドラマよりも面白いかもしれない。

 アレッサンドロの祖父母はイタリア出身だが、デ・トマソのホームページに記載されたデ・トマソの歴史によると、アレッサンドロ自身は1928年7月10日にアルゼンチンのブエノス・アイレスにて生まれたと言う事だ。彼は、アルゼンチンでレースドライバーとして活躍したらしい。
 アレッサンドロの父親は、イタリア移民の息子だったが、後に社会党首相にまで選出され大統領候補までになった人物である。しかし、父親はアレッサンドロが20歳の時に死亡した(※暗殺とも言われる)。その後誕生したペロン軍事革命政権(※ペロンの妻はあの有名な"エビータ"ことエバ・ペロンである)に名誉と財産を奪われたアレッサンドロは、無一文となる。
 アレッサンドロの人生最悪の頃、その後の彼の親友となる男と出会う。その歯科医大生の名前は、なんとあの"チェ・ゲバラ"である。そして1955年のある朝、アレッサンドロは突然DC3型旅客機をハイジャック(!)した。爆弾を積み込み、ペロンの大統領官邸への襲撃を試みた。しかし、彼の計画・行動は離陸する前に失敗し、アレッサンドロは国外退去に処せられてしまった。

 彼は、イタリアへ渡った。イタリアでもレーシングドライバーとして活躍するが、ここでアメリカ人女性レーサー"エリザベス・ハスケル"に出会う。彼は、彼女と1957年に結婚式を挙げる。イタリア亡命後、僅か2年後の事である。実はこのエリザベス(後イタリア的にイザベルと改名)は、GM社の創立メンバーの孫娘だった。アレッサンドロは、大富豪の娘と結婚したのである。1959年に、アレッサンドロはイザベルの出資で、イタリアのモデナに"デ・トマソ・アウトモビリ"と言う会社を設立した。デ・トマソ社は、当初車の生産をしておらず、起業してから数年間は、自社製のフォーミュラマシンを製作をしていた。ただし自社製のものはフレームのみで、エンジンや駆動系は市販の物を搭載していた。1961年にはアルファロメオのエンジンを、1970年にはコスワースのエンジンを搭載して、F1に参戦した(※1970年参戦の際には、フランク・ウィリアムズがチーム運営をした)。彼のレーシングカーのコンストラクターズは、彼のF1への挑戦は1970年の事故で事実上終わった。まったく結果を残す事ができずにの、レースからの撤退である。

 しかし、アレッサンドロは、その間に政治力と人脈を駆使して、自動車業界に着実に触手を伸ばしていた。デ・トマソは、1963年に三台の試作車を発表。その内の一台は、オープンカーの"ヴァレルンガ1500"だが、アルミ製ボディを載せたクーペボディ車として、1965年に市販された。フェラーリやアルファロメオとどこか通じる美しいデザインのこの車は、世界初のミッドシップ・ロードカーの一台として名を馳せる。1967年には、2台目の市販車"マングスタ"を発売。V8エンジンをミッドシップに積み、ジウジアーロがボディをデザインした本格的なスポーツカーだが、残念ながら不発に終わった。しかし、この際にデ・トマソのボディを生産したトリノの名門"カロッツェリア・ギア社"の買収に成功している。
 その後、(大富豪の娘イザベルの暗躍もあったと言われる)フォードとの提携関係が生まれる。フォード二世は、ミッドシップ・スポーツカーのプロジェクトに反対だったが、あの"リー・アイアコッカ"はプロジェクトを強力に提言した。イザベルとアイアコッカは旧知の仲で、イザベルを通じてアレッサンドロはアイアコッカとの太いパイプを築いた。こうして、大量生産の経験すらない無名のデ・トマソ社とフォード社との間に、大量生産のミッドシップカーの開発・生産を一任する契約が結ばれた。
 1969年に、デ・トマソ社は、ランボルギーニのチーフデザイナーのジャンパオロ・ダラーラを引き抜いた(※ダラーラについてはランボルギーニ・ミウラのページを参照)。ミウラの設計でその問題点を熟知していたダラーラは、全長の短いV8ユニットを得て純レーシングカー的な縦置きミッドシップ・レイアウトに挑んだ。こうしてフォードのスポーツカープロジェクトに参加して誕生したのが、"パンテーラ"である。試作車は、1970年1月に完成し、3月にモデナで、4月にはニューヨークで披露された。

 ところが、イザベルの兄と従姉妹がのった小型飛行機が墜落し、二人は死亡する。この事故で、アレッサンドロは苦境に陥り、デ・トマソ社の全米の80%の株などをフォードに450万ドルで売却した。結局、パンテーラ・プロジェクトは、650万ドルで完全にフォードのものになった。しかし、このパンテーラはトラブルが続発した。ロードテストでは、悪路でのオーバーステア(すなわちスピン)が指摘された。フォードは、すでに納車されてしまった車両を含め、莫大な額を投下して数百台のパンテーラに気の遠くなるような応急処置を急遽施した。パンテーラの防錆対策もまったくお粗末で、閉断面部の内部に致命的に至る腐食に発展する。鋼板の材質自体にも問題があった。効きの悪いエアコン、夏場のオーバーヒート、パーツ供給の不備…問題は山積みだった。
 しかし、フォードの販売網を通じて販売されたパンテーラは、商業的に「デ・トマソ史上」最大の生産台数を記録する。とは言うものの、このミッドシップカーの販売は、「フォードにとって」は当初の思惑からは遥かにかけ離れた数字でしかなかった。はっきり言うと(フェラーリやランボルギーニに比べればかなり安いかもしれないが)、同価格でもっとパフォーマンスの高い熟成したスポーツカーが手に入るのだ。初めからトラブル続出で、販売台数も伸びない・・・パンテーラは、フォードのお荷物車種となっていく。

 デ・トマソのエンブレム
※↑このIにもTにも見える記号は、古代エジプトの多神教の神"イシス神"のヒエログリフ(象形文字)である。これはイタリアでは不快な話題となるので、アレッサンドロは「妻のイザベルのイニシャルだ」と言っていたそうだ。

 デ・トマソのロゴ

 1970年半ば以降、オイルショックにより、スポーツカーは世界的に冬の時代を迎える。北米で年間3,000台あまりも売れていたパンテーラの販売台数は、1/5以下まで販売台数が激減する。結局、フォードは4,477台の生産・販売を持って、問題だらけのデ・トマソのプロジェクトかを放り出す決断を下した。デ・トマソの後ろ盾だったフォードが1974年に手を引くと、デ・トマソはフォードから経営権を買い戻し(フォードが買った価格の1/3の価格だったと言う)、同じく経営難だったマセラッティ社を始め、イノチェンティ社やベネリ社を次々と買収し、事業拡大と言う経営手腕によって乗り切る道を選択する(※イノチェンティ社等は、1990年にフィアットに売却される)。結果、マセラッティからは"ビトゥルボ(=ツインターボと言う意味の車)"、イノチェンティからはMINIをベースとしてダイハツ製の1リッターSOHC3気筒エンジンを搭載した"イノチェンティ・ミニ"が登場していく。このダイハツとの提携関係が、後にシャレードのデ・トマソ版が生まれる土壌を育んだ。

←注:これがダイハツの、シャレード・デ・トマソです(台東区内にて)

 デ・トマソは、スポーツカーの冬の時代となった1970年代以降、高級サルーンの"ドーヴィル"、ドーヴィルの車体を短縮したGTカーの"ロンシャン"を売り続けた(※V8エンジンを積み300psの出力を発生した)。

 デ・トマソ・ロンシャン(石川県・日本自動車博物館にて)

 これと同時に、パンテーラのリファインも繰り返していた。そのような中、1994年ようやく新型車の"グアラ"が登場する。しかし、諸事情で大々的な生産はされなかった。その後、FR2シーターのスポーツ"ビグア"の開発に移るが、商標権の移動などでこじれて、クヴェール・モデナ社の手によって、懐かしい"マングスタ"の名に改称して販売するが、またまた短命に終わってしまう。その後のデ・トマソ社の歴史は、後でまた述べよう。

 パンテーラGTS(世界の名車コレクション'77にて)
(↑※上記写真はマニュアル・ストロボの設定を間違ってこんな残念な写真に…冒頭の写真も同様)

 さて、ここで話しを本題の"パンテーラ"に戻そう。パンテーラの世界的なデビューは、1970年4月のニューヨーク・ショー(※3月に本国イタリアのモデナでも披露されている)。ボディは、クーペタイプとタルガトップタイプの2タイプが用意された。販売は、1971年に開始された。パンテーラは高価なスーパーカーには違いないが、フェラーリやランボルギーニと比べれば安価であり、実用的なスーパーカーであったためよく売れる人気車となった。僕の手元には少年時代のスーパーカーカードがまだ残っているが(笑)、そこに記載されたパンテーラGTSの価格は900万円代となっている。当時の他のスーパーカーと比較すると、確かに安い。ちなみに"パンテーラ"と言うのは、イタリア語で"豹(パンサー)"の事。
 パンテーラの開発は(先でも述べたが)ジャンパオロ・ダラーラ、デザインはトム・ジャーダが手がけた。エンジンは、フォード製の5.8リッター水冷V型8気筒OHVエンジンをミッドに積み、最高出力は330ps(※最高速度265km/h/ただし規制の厳しい北米仕様は280psで、310psと330psがオプション設定)。ミッションはZF製の5速MT。サスペンションは4輪ウィッシュボーンで、ブレーキも前後ともディスクブレーキ。全長は4,270mm(全幅1,830mm×全高1,100mm)で、車重は1,420kg。ボディはオールスチール製で、制作はカロッツェリア・ギア社が担当した。

 パンテーラの後姿(地元近所の修理工場にて/少年時代に)

 パンテーラは、パンテーラ、パンテーラL、GTS、GT4、GT5、GT5-Sと進化していく。1972年には、パンテーラLが登場(Lはイタリア語の"贅沢"の頭文字)。エアコンを始めとする装備が充実され、その他細かな変更がなされた。実際には、北米安全基準対策モデルとしての意味合いが濃いようで、北米版のパワーは265psにダウン。翌1973年には、インパネ形状も変更された。
 1973年には、パンテーラGTSが登場。パンテーラの高性能版で、ジュネーブショーでデビューした。パワーは、350psにアップ。各種細かな設定が見直された他、カラーが下半分がマットブラックのツートンカラーとなった。
 レース(※1972~73年)のグループ4での成功後、レースカー(※6台制作されたと言う)をベースにしたパンテーラGT4が登場。で、1980年にこのGT4をベースに開発されたパンテーラGT5が登場。フロント・スポイラーが拡大され、リアには大型ウィングが付けられる。GT5では、エンジンパワーは367psに向上している。次いで、1984年にこのバージョンアップ版であるパンテーラGT5Sが登場。各種形状が見直され、大きく雰囲気が変わる。インテリアも、イタリアン高級GTカーっぽく変更されている。しかし、この頃の生産台数は、年間50台以下になっている。
 ここまでの変更は、パーツや諸設定変更のみのマイナーチェンジであり、プラットフォームからの大きな見直しは、1989年から開始される。1989年には、ガンディーニに新パンテーラのデザインの依頼が行われた。

 パンテーラGT5(春日部市内にて)

 そしていよいよ1990年には、最初で最後の大掛かりなマイナーチェンジが行われた。このビックマイナーチェンジにより、GT"〇〇"と言う名称ではなく、再び単に"パンテーラ"と言う名称で呼ばれる事となった(…一般にヌオバ(※新しい)・パンテーラと呼ばれるが)。このニュー・パンテーラのデザインは、鬼才マルチェロ・ガンディーニ(※カウンタックその他の数多くのスーパーカーのデザインを手がけた巨匠)が手がけた。僕もかつて写真でのみニュー・パンテーラを見たが、オリジナルのエクステリアのイメージを保持しつつ、現代風にモディファイしたデザインとなっている。
 このニュー・パンテーラは、従来のV8エンジンではなく、マスタング用の4.9リッターのフォード製V8エンジンを積み、最高出力はキャタライザー付きで300psを発揮、最高速度は270km/hに達した。全長は4,365mm(全幅1,980mm×全高1,100mm)で、車高は低いがかなりワイド感&安定感がある。車重は、1,420kgとかなり軽めに仕上げられている。サスペンションは、4輪ともダブルウィッシュボーンで、ブレーキも前後ともベンチレーテッドディスク。ミッションは、5速MTのみ。旧パンテーラはモノコックボディを採用していたが、新パンテーラは高剛性確保のため鋼管フレームが採用されている。
 エクステリアはかなりアグレッシブだったが、インテリアはローズウッドのパネルや本皮シートが備えられ、イタリアン・スポーティサルーンのような上品な雰囲気も漂っている。ミッドシップ・スーパーカーだが、ミッションの上にはそれなりに広いカーゴスペースが設けられていた。1990年当時の価格で1,880万円となり、初代と比べると倍の価格になっている。デ・トマソ社創立30周年記念に相応しい限定モデルであった。
 パンテーラの生産が打ち切られたのは、1993年。20年以上の長きに渡ってファンに愛されたスーパーカーは、パンテーラ以外に例が見当たらない。パンテーラは、正に正真正銘のスーパーカーだった。

 創始者のアレッサンドロは、パンテーラの生産が打ち切られた頃に病におかされて入院。しかし新世紀をまたいで、デトマソは"パンテーラ"と"ヴァレルンガ"の2車種の復活を企画していた。新型のヴァレルンガはロータス・エリーゼクラスをライバルとし、アルミシャシーと自然吸気4気筒エンジンを積む超軽量(目標750kg)のスポーツカー、新型のパンテーラはフェラーリ360モデナクラスをライバルとし、伝統のバックボーンシャシーの2シータースーパーカーで、デザインはマルチェロ・ガンディーニ。
 しかし2003年5月21日、アレッサンドロは、イタリアのモデナで心不全のため74歳で死去。2004年5月、デ・トマソ社は、残念ながらアレッサンドロの遺族によって解散された。こうして、アレッサンドロと言う不可思議な色男の人生の終焉と共に、デ・トマソ社も終わりを迎えたのであった。


 脇を通過していったパンテーラ(環七にて/車中から撮影)

 ところで、2005年6月に家族4人で葛西の臨海公園と水族館に行く途中、わが愛車ミフィールの横をパンテーラが通り過ぎて行った。バックミラーで「あっ、パンテーラだ!」とすぐに気が付いてデジカメを取り出したが、運転中と言うこともありちゃんと撮影する事ができずに、パンテーラ(※大型ウィングと単色ボディカラーから推察すると"GT5"か"GT5S"か?)はあっという間に左折して視界から消えてしまった。写真にはちゃんと写らなかったが(※上の写真参照)、現役で走っているパンテーラを見られた事はとても嬉しかった。ちなみに、こう言う僕の行動を見ては、いつも妻は呆れ返っている(^_^;;)。

2013年12月13日:サイクリング中、隣町で、パンテーラを見ました。














 マイコレクションより"パンテーラGTS"

 マイコレクションより"パンテーラGTS"

参考・引用文献
スーパーカーカード/デトマソ・パンテーラGTS
幻のスーパーカー 福野 礼一郎 著 (双葉文庫)
デトマソ社、モーターマガジン社、その他各種HP
スーパーカーナウ!!        (三栄書房)


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