メルセデス・ベンツ SLK

(2005年9月11日記載)

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 今回、メルセデス・ベンツのSLKを取り上げるのですが、過去一度もメルセデス・ベンツを作っている会社について述べていなかったので、今回ベンツの歴史を振り返って見ます。

 僕らはメルセデス・ベンツと呼びますが、普通は前半が会社の名前、後半が車の名前ですよね。例えば、トヨタ・ヴッィツだったら、トヨタが"社"名、ヴッィツが"車"名です。でも、メルセデス・ベンツを作っている会社は、メルセデス社じゃなくて、ダイムラー・クライスラーじゃなかったっけ?あれ~、そもそも昔はメルセデス・ベンツじゃなくて、ダイムラー・ベンツって呼んでなかったったけ?ダイムラーって、ジャガーを作っていたこともあったよね?でも、ジャガーって、現在ローバー傘下じゃなかった?と言う風に、ベンツの名称に関して、一時期僕の頭の中が混乱していた事があります。ベンツとダイムラーとメルセデス、これにアメリカのクライスラーまでくっついてしまって、何がどうなっているのやら…。これらの混乱を解消して秩序立てて理解するには、ベンツの歴史を見ると分かりやすいのです。そこで今回、ベンツの歴史を振り返ってみようと言うわけである。以前読んだ「メルセデスの魂」と言う250ページの本の内容を中心に、ベンツの歴史のエッセンスだけを取り出して1ページに簡潔にまとめてみましょう。

 車好きで無い人は、誰が車を発明したかなんて良く知らないし、興味もないだろう。「アメリカのフォードが作ったんでしょ?」と勘違いしている人も少なくないかもしれません。車を発明したのは、ドイツ人のカール・ベンツと言う人。1885年に世界最初の車を作って、1886年に特許を取った。ベンツは鉄道機関士の息子として生まれたせいか、やはり彼も時代の先端の機械工学に興味を覚え、その道の優れた職人になる。彼が発明した最初の自動車は、3輪でエンジンは単気筒で出力は正に1馬力(1ps)だった。彼が描いた理想の自動車像は、「機動性と実用性に優れ、エンジンが車体と有機的に一体化した自動車」である。この車はなかなか売れなかったのだが、妻はこの車を世間に知らしめるため、世界初の100kmのグランドツーリングへと出かける(この妻が凄い人!)。こうして、車は世間に認知されるようになっていった。カール・ベンツは、ベンツ&Cie社を起こす(※以後ベンツ社と略す)。


世界最初のガソリンエンジン自動車
"ベンツ・パテント・モートルヴァーゲン"(秋葉原の交通博物館にて)

 同モートルヴァーゲン(河口湖自動車博物館にて)

 ベンツ初の市販車(河口湖自動車博物館にて)


 一方、同時期の1886年に、もう一人自動車を発明した人がいた。同じくドイツ人のゴットリープ・ダイムラーである。ただし、カール・ベンツよりも僅かに手続きが遅かったことにより、特許取得を逃してしまった。ダイムラーが作った自動車はベンツのものと違い、4輪式だった。ダイムラーはパン屋の息子だったが、小さい頃から機械が大好きで、その道の職人を目指すのは当然の成り行きだった。ダイムラーは、何にでもエンジンを付けて動かしてしまえと言った調子で、「ガソリンエンジンで、陸・海・空を目指す」と言う発想をしていた。この「3つを目指す」と言う発想が、後のベンツのトレードマークとなる"スリー・ポインテッド・スター"の由来である。特許の手続きの件はともかくとして、自動車史ではベンツとダイムラーの両名を持って、自動車の発明がなされたと考えられている。

 スリーポインテッド・スター

 ダイムラーには、ヴィルヘルム・マイバッハと言う優秀な技術者が右腕として働いていた。ダイムラー車の「高性能への道」を示唆したのはマイバッハである(現代でもベンツの最高級カスタムメイド車には"マイバッハ"の名が冠せられている)。ダイムラーは、ダイムラー・モトーレン社を起こす(※以後ダイムラー社と略す)。

 さて、自動車の開発・性能には、莫大な資金が必要である。イェリネックと言うオーストラリアの富豪商人が、ダイムラー車でレースに出ていたが(19世紀後半には、もうレースが始められていたのである)、ダイムラー車にスピード不足を感じていた。そこで、イェリネックはマイバッハに資金援助を申し出た。この資金援助には色々と付帯条件が付けられていたが、その中の一つに新車には「メルセデス」と言う名を付けると言う条件もあった。メルセデスと言う名前は、イェリネックの愛娘の名前である。彼は、それほどまでに愛娘に愛情を注いでいたのである。1900年3月にダイムラー自身は亡くなってしまったが、メルセデス1号となる自動車はマイバッハが腕をふるい、他を圧倒する性能を持った車として完成し、1901年のニースのレースで優勝した。
 19世紀終わり頃には、ベンツ社は世界最大の自動車量産メーカーに成長していた。ところが、20世紀に入るとベンツ社の車は売れなくなっていった。カール・ベンツは、自動車の新しい潮流になかなか馴染めなかった。しかし紆余曲折の末、フロントエンジンの新車を次々と世に送り出し、レースでも優秀な戦績を残した。レースでは、ベンツとダイムラーの車がそれぞれ上位を分け合った。
 しかし、20世紀に入り20年も経つと、両社とも雲行きが怪しくなってきた。第一次大戦にドイツが負けたことによる経済情勢の悪化もあったが、アメリカのヘンリー・フォードによる自動車の大量生産方式の導入も大きな要因だった。フォードは、一貫して「大衆のための実用の機械としての自動車作り」を追求し、大衆へ安価な自動車の普及に力を尽くした。ドイツ車は相も変わらず一台ずつの手作りで、フォード車とドイツ車の価格差が2倍にもなった。経済の疲弊したドイツ国内では、高級ではあっても、高価格のドイツ車が売れる分けが無い。この情勢に苦慮したドイツの銀行家達は、ドイツ自動車メーカーを一つにまとめ上げ、量産化によるコストの削減、販売力の増強を目指した。こうして、ベンツ社とダイムラー社の合併が決まったのである(将来的にはBMWやオペルとの合併も視野に入れられていたが、オペルは独自にアメリカのGMと提携する道を選んだ)。こうして、1926年「ダイムラー・ベンツ社」が誕生した。その3年後1929年4月、にベンツは亡くなった。同年12月、マイバッハも技術者人生に幕を閉じる。ダイムラーもベンツも、己が名を関したダイムラー・ベンツの将来の隆盛を見ることなく世を去ったのである。ちなみに、ダイムラーとベンツの二人は、遠く離れた場所に住んでいた訳でもないのに、生涯一度も顔を合わせた事が無い。

 シュツットガルト市とその周辺の町々では、自動車創生期に関わっていた人が数多く誕生している。ベンツもダイムラーもマイバッハも、そしてポルシェ博士もこの地域で誕生した人だ。また、燃料噴射装置や自動車部品で有名なボッシュ社、シートで有名なレカロ社、アルミ鍛造ピストンで有名なマーレー社、ベンツ改造で有名なAMG社も、この地域で誕生した。シュツットガルト市のある地域は、昔から過酷な地域で農業には適さなかった。人々が生活を支えていくには、知恵を出して道具や機械を作って売るしかなかった。そして、職人の優秀な技術が育っていったのである(一年中暖かくいつでも食べ物が豊富で生活に困らない土地では、なかなか革新的な技術は生まれてこないものだ)。だからシュツットガルト市周辺で自動車産業が起こったのは、決して偶然ではない。そう言う新しい技術を生み出す土壌があったのだ。現在もシュツットガルト市には、ダイムラー・クライスラー社やポルシェ社がある。シュツットガルト市のそもそもの意味は「雌馬の庭」で、市の紋章には"跳ね馬"があしらわれている。ポルシェのマークの跳ね馬は、この市の紋章から取られたものである。またイタリアの至宝フェラーリのトレード・マークも、起源は実はこのシュツットガルト市の紋章である。

 1926年、新たに出発したダイムラー・ベンツ社だったが、順風満帆の船出だったわけではない。ベンツ社にいた人々とダイムラー社にいた人々とでは、当然意見も食い違った。これらが解消されるのに、10年もの月日が必要だった。取り分け、安価な大衆車を作るのか、高級車志向の車を作っていくかでは、かなりの試行錯誤があった。フォードの車は、世界を席巻しつつあった。対抗上、ベンツも排気量の少ない小型車を模索する(ちなみにその指揮を執ったのがポルシェ博士。1928年には退社してしまうが)。1926年に、2,000ccの小型車"メルセデス・ベンツ200"を作ったが、価格は決して安くなかった。ベンツは、小型車にも革新的な技術を取り入れたり、高級車仕立てにしてしまう。当然、部品点数も多い。高級車を作り続けてきたプライドと言うか、職人会社の性とでも言おうか。しかも相変わらずの、一台ずつの手作り。これでは、価格の上で大量生産のフォード車に適うわけがなかった。事実、ベンツの小型車はフォード車より4割も高かった。これでは、経済の疲弊したドイツで売れるわけが無い。1931年には、更に小さな1,700ccの"メルセデス・ベンツ170"を発表。しかし凝った作りの高性能車の価格は、フォード車並みにはならなかった。それでも会社の業況は、努力のかいあって以前よりは良くなっていった。

メルセデス・ベンツ170(石川県・日本自動車博物館にて)

 ナチス政権下に突入し国民車構想が実行されてから、ダイムラー・ベンツ社は、ポルシェ博士の設計した「フォルクス・ワーゲン」の車体製造を請負い、小型車開発をこれに集約して、小型開発を打ち止めにした。それ以降、ダイムラー・ベンツ社は、高級自動車メーカーとしての道を迷うことなく突き進んでいくのである。
 ダイムラー・ベンツの車は、優雅・高品質のみならず、走行性能でも世界一番だった。1935年当時、グロッサー・メルセデスと言う高級車に搭載されたエンジンは、ロールスロイス・ファンタムⅢよりも性能で勝っていたのである。ユーザーには、各国の国王、大統領、首相、大使、博士、教授等が名を連ねた。当時の日本の宮内庁も、グロッサー・メルセデスを所有していた。

メルセデス・ベンツ320・カブリオレ(河口湖自動車博物館にて)

 ダイムラー・ベンツは、レースでも活躍した。モータースポーツ活動には莫大な資金が必要だったが、1930年代、ナチスのヒトラー首相は、ドイツの名を世界に轟かすため、モータースポーツ振興のための政府助成金をドイツの自動車メーカーに出した。政府肝いりの資金援助により、ドイツ勢の技術開発は他国を圧倒した(アルファロメオの歴史でも触れたが、この時期イタリア車が優勝できたのは僅か数レースだった)。
 この時期の有名な話に、「シルバー・アロー伝説」がある。話を要約するとこうだ。新しい国際規格で開催されたニュルブルクリンクのレースで、ダイムラー・ベンツの新規定のレースカーはレース前日の車検で、車重は751kgだと判明した。新規格では、750kgがリミットである。しかし、ニュー・カーは徹底した軽量化が図られ、減量後のボクサーと同様、どこにもそぎ落とせる部分はなかった。そこで、目を付けたのが塗装である。当時のグランプリカーは、ナショナルカラーに塗られていた。イタリアなら赤、ドイツなら白である。この塗料と言うのが、実はけっこう重いのだ(例えばジャンボジェット機も塗装しないだけで、数%も燃費が向上すると言う。塗料と言うのは数百kgにもなるからだ)。そこで、ダイムラー・ベンツのチームは一晩かけて、白の塗装を剥がした。塗装を剥がすと、むき出しのアルミの銀色になった。そして翌日の車検を、750kgちょうどでパスしたのだ。レースは、見事優勝。こうして「シルバー・アロー(※銀の矢)伝説」が始まったのである。
 ダイムラー・ベンツの車は、戦後のレースの世界で大活躍した。彼等は、先端の技術を投入した。ガソリン直噴方式を初めて採用した(三菱自工が市販車で実用化する40年も前の話である)。フェラーリのエンジンが8,000回転がリミットの頃、ダイムラー・ベンツ車は10,000回転と言う高回転をクリアーしていた。これは、新しい技術の開発なくしては当時は不可能な回転数だった。よくフェラーリが最新技術に果敢に挑み、ベンツが堅実な技術を洗練化して採用しているイメージが世間ではあるが、実は逆である。フェラーリの歴史を調べると、フェラーリはいつもその時代で結果を残している堅実な技術しか採用していない。新技術を採用する事に関しては、いつも後手後手に回っていた(フェラーリの歴史は、以前調べたので別の機会にご紹介したい)。一方の、ダイムラー・ベンツは、速さを追求する最先端技術に果敢に挑戦し続けた。レースの世界で活躍を続けたダイムラー・ベンツだったが、1955年にル・マン24時間レースで起きた観客を巻き込む大惨事を受けて、ダイムラー・ベンツはモータースポーツに終止符を打ち、レースを走ることは無くなった。
 それから34年後の1989年、シルバー・アローは復活し、ル・マン24時間レースに戻ってきた。僕も、その時のテレビ中継をリアルタイムで見ていたが、銀色のベンツが見事に優勝した。
 
 ダイムラー・ベンツが追い求めたのは、速さだけではない。自動車の安全性も、早くから取り組んでいる。3点式シートベルトを装着したのはボルボが世界初(1959年)だったが、衝撃吸収ボディを採用したのはダイムラー・ベンツが世界初だった。衝突事故の際の衝撃力を、車体で吸収すると言う斬新な発想は、1953年メルセデス・ベンツ180で市場に導入された。

マイコレクションより"メルセデス・ベンツ180"

 ダイムラー・ベンツの安全対策は、さらに加速する。フロント・ディスクブレーキを量産車に採用(1961年)、アナログ式ABS発表(1970年)、エアバッグシステム特許取得(1971年)、自動巻取り式3点シートベルトとヘッドレスト標準装備(1973年)、デジタル式ABS発表(1979年)…と上げ始めるときりが無いのだが、数多くの安全装備技術の開発をし、また特許も取得している。
 技術装備だけではない。1969年から始められたダイムラー・ベンツ社の事故調査は、あまりに有名である。ダイムラー・ベンツ社の事故調査員は、警察や保険会社よりも先に到着していたと言う伝説さえある。現場での事故調査は、実験室では得られない情報をもたらしてくれる。当時までの衝突実験は、主に前面衝突実験だった。しかし、実際の事故では真正面からの前面衝突と言うは少なく、ほとんど左右どちらかにずれている。こうして、ダイムラー・ベンツ社ではオフセット衝突実験が行われることとなり、このオフセット衝突実験の重要性は世界の自動車メーカーに広がっていった。安全と言う事一つとっても、ダイムラー・ベンツはここまで検証しているのである。
 ダイムラー・ベンツ社は、「創業時から高級車作り(※確かな品質)で世界をリード」し→「速さを追求する最先端技術に果敢に挑戦」し→「安全な自動車作りにいち早く着手し、実際の事故から学んで安全性を追求」し続けているのである。高品質へのこだわり、先端技術への情熱、安全性への執念、これら3拍子が揃った自動車メーカーは、なかなか見当たらない。ダイムラー・ベンツの車造りに対する姿勢は、世界中の自動車メーカーに多大な影響を与え続けた。
 そして、1998年、ダイムラー・ベンツ社は、アメリカのビッグ3の一角"クライスラー社"と合併し、"ダイムラー・クライスラー"として新たな道を歩みだした。"ダイムラー"と言う名前は"社"名に残り、"ベンツ"と言う名前は"車"名として残った形だ。品質や性能や安全技術で世界をリードしたベンツは、新たな環境の世紀を踏まえて、バイオ燃料技術や燃料電池車開発でも先んじている。アメリカのメーカーと合併した後も、「ドイツ製品としての誇り」が見える責任ある車造りをこつこつと続けている。120年以上の伝統を持つ世界最古の自動車メーカーは、21世紀も世界中の自動車メーカーのリーディング・カンパニーたらんとしているのだ。
 ただ、クライスラーと合併した後の最近のメルセデス・ベンツは、以前と比較して評判がかなり落ちている。ベンツファンの自動車評論家ドライバーの中には、現代のベンツはベンツらしさが失われていると嘆く人もいる。今年4月に報じられたニュースによれば、地元ドイツでは長年ベンツのタクシーを使うのが当たり前だったのだが、最近はベンツの故障が多いとの不満から、他社の自動車に乗り換えるタクシードライバーも増えてきて、ベンツのタクシー・シェアが著しく減っていると言う。また、日本でも今年5万台分のメルセデス・ベンツのリコールの届出が国土交通省になされた(世界中では130万台にも上りベンツで過去最大のリコールだと言う)。ヨーロッパでも、少しずつベンツ離れが始まり、アウディ等へユーザーが流れていると聞く。ベンツが比較的安価な自動車を提供してくれることはけっこうな事だが、品質や安全性を犠牲にしてしまうのでは、わざわざベンツ車を買う意味が無いだろう。

2007年5月15日追記:ダイムラー・クライスラーのツェッチェ社長は、ダイムラーとクライスラーの世紀の合併は8年半で破綻し失敗に終わった事を認めた。北米クライスラーは、米投資会社のサーベラス・キャピタル・マネジメントに売却されるとの事。
やはりと言うか、僕がだいたい思っていた通りの展開になってしまった。ベンツを有するダイムラーの将来はともかく、クライスラーの未来は暗いと思う・・・。


 さて、さて、ここからようやくSLKのお話しです。ベンツSLKは、僕が大好きなライトウェイト・オープン・スポーツカーであり、BMWのZ3と共にここ数年「買っても良いと思うオープン・スポーツカー」のベスト3に入れている。僕は基本的にベンツにはあまり食指が動かないのだが、SLKは別である。カールベンツが理想とした車が「機動性と実用性に優れ、エンジンが車体と有機的に一体化した自動車」であるならば、このSLKは正にそれを十分に体現していると思うのだ。
 しかし、最近大きな疑問がある。ライトウェイト・スポーツカーは、非力なパワーのエンジンを軽い車体重量でカバーして、軽快なスポーツ走行を可能とするスポーツカーと言うような意味で長らく使われてきた。そう言う定義からすると、SLKのように200馬力から300馬力ものハイパワーがあり、1,400kgもの重い重量のある車を、ライトウェイト・スポーツカーと呼んで良いのかと言う疑問がある。しかしベンツのSLKの"SL"はスーパー・ライトと言う意味であり、"K"は「短い」を意味するKruzの頭文字である。つまりSLKとは、"コンパクトでとっても軽い"と言うような意味を表している。そんな訳でベンツSLKはやっぱりベンツ・ファミリーの中では、立派なライトウェイト・スポーツカーなのである。

 ベンツSLK(千代田区市ヶ谷にて)

 SLKが登場したのは、1997年。日本にも、その年の9月に輸入開始されている。先代Cクラスをベースに作られたスポーツカーで、サイズはコンパクトで全長4,010mm(全幅と全高は1,745mm×1,280mm)。このコンパクトさ故に、外観デザインは冗長すぎない美しいシルエットになっている。僕がSLKをもっとも好きな理由は、この4mと言うコンパクトさとスタイリッシュなデザインが挙げられる。細い道(都会の路地から山道まで)や狭い車庫の多い日本では、たいへん取り回しに重宝するボディサイズである。
 そして、これだけコンパクトなサイズにも関わらず、バリオルーフと呼ばれる自動開閉式ハードトップを備えている。室内のスイッチ一つで、メタル製のトップが25秒で開閉できるのだ。オープンにしても、トランク内はある程度の荷物を収納できる。僕も、街中でSLKの屋根を開閉する光景を見たことがあるが、優雅な動きをしていた(屋根はトランク内に収納される)。あのメカニカルな動きは、見ていても楽しい。メタルトップを開ければ爽快なオープン2シーター、閉めればクーペ並みの対候性と快適性が得られる。雨の多い日本では、幌タイプの屋根よりもメタルの屋根の方が過ごしやすいし、維持管理のし易さでも大いに助かる。僕がSLKを好きな理由の二つ目は、このメタル・ルーフの採用だ(僕もカプチーノの3分割のメタル・ルーフで、このありがたみを肌で味わっている)。
 そしてSLKのインテリア。さすがベンツ車だけあって、プレミア感たっぷりかつスポーティーさを強調するインパネとなっている。細かな部分もこだわった作りをしている。僕がSLKを好きな理由の三つ目は、このインテリアの美しさである。

ベンツSLKのバックビュー(秋葉原にて)

 もちろん、エクステリアやインテリア、ルーフのギミックだけが良いのではない。僕がSLKを好きな最大の理由は、その走行性能と安全性能である。エンジンは、2.3リッターのスーパーチャージャー付きの直列4気筒DOHCエンジン(197ps)と、2000年のマイナーチェンジ時に追加された3.2リッターのV型6気筒SOHCエンジン(218ps)、加えてAMGチューン(353ps)の3タイプ。ミッションは、すべて5速AT。重量は先に書いたように1,400kg前後あるが、キビキビとしたハンドリングで、軽快かつガッシリとした走りを見せる。走りは、一部の自動車評論家には評判良くないようだが、僕のレベルではそう言う高次元のドライブテクニックとは関係無いので、まあどうでも良い。安全性もさすがベンツ、抜かりはない(ベンツの安全性に対する情熱は上記のベンツの歴史に述べた通り)。オープンカーでもボディの剛性は高く、安全装備もしっかりしていて安心して乗れる。価格は、504万~599万円ほど(AMG仕様は約809万円)。中古のSLKなら、若者にも(もちろん僕にも)十分購入可能な、ライトウェイト・スポーツだ。

オープンにしたSLKのサイドビュー(中央区銀座にて)

 SLKは、2004年9月にフルモデルチェンジをした。外観のルックスは、マクラーレンSLRを髣髴とさせるアグレッシブなデザインになり、全長も4,090mmと若干だが大きくなった(重量も1,490kgとやや重くなった)。エンジンは、272psを発揮する3.5リッターV型6気筒DOHCとなり、AMG仕様に至っては5.4リッターエンジンで360psを発生する。価格は、それぞれ672万円と960万円ほどに上昇。デザインの変更はともかく、エンジンパワーをここまで挙げる必然性が僕には感じられないし、ここまで価格が高くなってしまうとコストパフォーマンスの点でちょっとなぁ…中古でも買いづらいぞ!僕らがライトウェイト・スポーツカーに求めるニーズと"Something"を、ベンツはきちんと理解しているのかなぁ…。デザイン(顔付き)はニューSLKの方がずっと好きだけど、ライトウェイト・スポーツカーとしての全体的な大きさやバランスは、どちらかと言うと先代のSLKの方が好きだったなぁ(…どうしてドイツ車には、良く売れたコンパクト車をでかくする傾向があるのだろう)。
 とは言いつつも、先代のSLKは走りの点で評論家諸氏から苦言を呈せられた点があったが、ニューSLKの走りは申し分無さそうだ。やっぱり欲しい車には違いない。一度乗ってみたいなぁ。


2006年2月追記:真夜中1時の千代田区神保町で初めてニューSLKを見ました。かっこ良い。















 マイコレクションより"ベンツSLK"

 マイコレクションより"ベンツSLK"

参考・引用文献
メルセデスの魂/御掘直嗣著      (河出書房新社)
カーコレクション/メルセデス・ベンツ (デル・プラド)
国産&輸入車購入ガイド        (JAF出版情報)
カーセンサー


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