オペル・ヴィータ

(2005年6月12日記載)

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 昨年(※2004年)は、新型のオペル・アストラがたいへん評判が良かった。自動車評論家の中には、オペル・アストラを輸入車の一番と評価する人もいたほどだ。しかし、オペルと言う自動車メーカーは、同じドイツ車のメルセデスやBMW、フォルクスワーゲン、アウディと比較すると、日本人にとって今一つマイナー感が否めない。これほどドイツ車好きな日本人なのに、オペルにはあまり親近感がない気がする。かつてアウディとワーゲンを取られてしまったヤナセが、オペルを取り扱ったことがある。しかし、あのヤナセをもってしても、ゴルフの販売台数を抜く事はできなかった。その後、オペルの輸入権はヤナセからGMジャパンに移る。その際にヤナセがこつこつと懸命に築いたものが、そこで一気にぶち壊しになってしまった。今はまた、オペルはヤナセが主力で売っているとか…。オペルと言う車は、日本ではとても悲劇的な車である。
 しかしイメージは兎も角として、オペルの車はドイツ車らしいガッチリとした無骨な乗り味の車である。友人がオペルに乗っていて、僕も一度運転させてもらった事があるが、日本車にはない独特のフィーリングを楽しめた。
 今回は、オペル・ヴィータを取り上げるのだが、オペルを取り上げる機会はなかなか無いと思うので、オペルの歴史を簡単に振り返りたい。

 オペルは、1862年にミシンメーカーとしてスタートしている。創業者は、アダム・オペル。1885年には、自転車の製造も始めている。これは、アダムの5人の息子達の進言によって始められた事業である。オペル社は急成長するが、父が1895年に出張先でチフスに感染し亡くなってしまう。父の死後、5人の息子達は自動車製造に進出することにした。彼らが相談した人物は、自動車発明者のベンツでも同じく自動車を発明したダイムラーでもなかった。ベンツやダイムラーよりも遅れて自動車製造を始めた、フリードリッヒ・ルッツマンと言う人物だった。ルッツマンはオペル社の協力要請を快諾し、1899年にオペル社第一号の"システム・ルッツマン"を完成させる。
 オペル兄弟の先見の明、行動力は素晴らしかった(これは五人が世界で見聞を広め様々な情報を入手することができからだ)。自動車の新しい方向性を見極めて行く。最先端技術を手に入れるため、フランスの会社とライセンス契約を結ぶ。こうして、フロント・エンジン、チェーン駆動、3速ミッションがオペルにもたらされる。技術屋がスタートさせたベンツやダイムラーと違い、商才に長けていたオペル兄弟は、世間の必要にすぐ応えた。医者が往診に必要だと言う事で"ドクトルヴァーゲン"と言う車を作り、自社が火災にあうとそれを教訓に"消防車"を開発し、パトロールカー、救急車、トラック、配達車等を次々と世に送り出した。オペル社はライセンス契約と同時に、独自の自動車も開発していった。もともとミシンを作る精密な技術を持っていたので、技術力は高かった。
 5人の兄弟は、それぞれ、銀行での働き、工場での実務、支店経営、技術の習得、経営の改善、法律の学びを行って、これらの様々な才能や得意分野で協力して、他社メーカーとは違う独自路線で、会社運営の難局を乗り切っていく。第一次大戦後の大不況時代、ドイツ自動車メーカー各社が離散集合をしている一方、オペル社はアメリカのGMと提携する道を選択した。ダイムラー・ベンツが一台一台手作りを行っている頃、オペル社はいち早くベルトコンベアによる流れ作業で、庶民のための大衆車を送り出していった。1927年には、ドイツで37.5%のシェアを手に入れている。

 オペルのマーク

 オペル社が優れていたのは、自動車製造と販売だけではない。従業員に対しても、手厚い策が施された。1907年の時点で、すでに労働組合に相当する"労働者委員会"すら設置していた。経営者だけが会社を勝手に運営していくのではなく、経営に対する従業員の発言も認めた。1912年には、労働時間と賃金の関係を明確にした。100年近く前という時代背景を考えると、経営でも進んでいたことが分かる。
 自動車の性能向上に対しても、抜かりは無い。アウトバーンやニュルブルリンクの建設よりも早く、1919年にテストコースの"オペルバーン"を建設している。その他、自動車運転学校を開いたり、整備士学校も開設したりしている。ハードウェアだけでなく、それを扱う人のソフト面も1世紀近く前に考えていたのだ。1962年には、横転事故の実験も始められ、衝撃吸収機能を持つ車体開発も始められた。オペルと言うメーカーは、ハードウェア指向に偏らず、ハードウェアとソフトウェアの両面に力を注いできたのである。

 さて、ここからようやくオペル・ヴィータの紹介である。ヴィータは、オペル・ブランドのボトム・ラインを受け持つベーシック・コンパクトの傑作である。

 二代目オペル・ヴィータ/5ドア(地元市内にて)

 ヨーロッパでは、コルサの車名を持つヴィータ。初代ヴィータは1993年に登場し(日本輸入開始は1995年)、世界中で600万台(すげえ~!!)以上を売りまくった大ヒット作であり、名実共にベスト・セラー車である。本国ドイツでは、1994年以降毎年同クラスの登録台数の一位をキープしている人気車である。たいへんコンパクトだが、室内空間は十分なスペースを確保していて使い勝手も良い。ヴィータのデザインには、日本人デザイナー関わっていたそうだ。エンジンは、1.2リッターの65ps、1.4リッターの85ps、1.6リッターの100psのタイプがあり、3ドアと5ドアのタイプがあった(1.6リッターは3ドアのみ)。サイズは、全長3,740mm(全幅・全高は1,610mm×1,440mm)。
 二代目ヴィータは、2000年に登場。室内空間と安全性の向上のために一回り大きくなり、全長は3,815mm(全幅・全高は1,735mm×1,420mm)。となった。ボディ剛性と静粛性は共に大幅に向上し、内外装の質感もかなり上がった。チーフデザイナーは、初代と同様に日本人が担当したそうである。エンジンは、1.2リッターの75ps、1.4リッターの90ps、そして1.8リッターの125psの3タイプがある。5ドアタイプと3ドアタイプがある。
 ヴィータの良さは、居住性や性能、安全性は当然として、その価格の安さも挙げられる。169万円台からラインナップがあり、同クラスの国産車と比較しても、決してコストパフォーマンスで劣っていない(中古車だと一層お買い得感があるだろう)。

 初代ヴィータ(3ドア)の後姿(越谷市内にて)

 二代目ヴィータ(5ドア)の後姿(千代田区にて)


 ただ不満があるとすれば、その外観だろう。エクステリアにオリジナリティを求める人には、少し地味なデザインに感じるかもしれない。いや、はっきり言おう。地味である。せっかくの輸入車なのに「それ国産車…ですよね?」なんて言われてしまったら、やっぱり悲しい(まあ、デザイナーが日本人なら仕方ないところか)。しかし、冒頭にも述べたように、オペルの悲劇と言うか、これだけ執拗な車ウォッチャーの僕が、世界中で600万台を売ったと言うヴィータになかなか巡り会えないのだから、やはりオペル・ヴィータの数は日本では決して多くないのかもしれない。
 2004年には、ヴィータをベースに設計されたメリーバが登場している。こちらはミニバン的なフォルムで、若干大きく全長が4メートルを少し超えている。昨年、評判も上々のアストラを出したオペル。今後は、どんな優れた車を出してくれるだろうか。楽しみである。














 マイコレクションより、美しいラインの"オペル・カリブラ"

参考・引用文献
カーコレクション/オペル  (デル・プラド)
メルセデスの魂/御堀直嗣著 (河出書房新書)
国産&輸入車購入ガイド   (JAF出版情報)
間違いっぱなしの車選び   (中経出版社)
乗り物大好き・世界の車   (PSG)
カーセンサー


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