アルファロメオ・ジュリア&ジュリエッタ

(2005年3月27日記載)

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 アルファ・ロメオ。その言葉の響きを聞いただけで、何か熱い物がこみ上げて来るではないか!一度もアルファ・ロメオ・オーナーになったことはないが、大好きである(この辺の屈折した思いは別のページで紹介したので、今回は省略いたしまする)。
 アルファ・ロメオには、スーパースポーツの名車も数々あるのだけれど、やっぱりアルファ・ロメオの真骨頂・真髄は"ライト・ウェイト・スポーツ"にある気がします・・・と言いますか、アルファ・ロメオは、キング・オブ・ライトウェイトスポーツの筆頭株と言って間違いないでしょう。アルファ・ロメオ・ジュリエッタを出発点にして、過去から現在までの名車を"徒然"に見ていきたいと思います。今回は、ちょっと長くなります・・・あしからず。

 さて車の話の前に、アルファ・ロメオの会社の歴史を軽くご紹介。1910年当初は、社名は「ロンバルディア自動車製造会社」だった。イタリア語で、Anonima(有限会社)・Lombarda(ロンバルディアにある)・Fabbrica(製造工場)・Automobilli(自動車)で、その頭文字を取って"ALFA"となった。1915年にニコラ・ロメオがALFA社を買収して、ニコラ・ロメオ・アンド・カンパニーに変更。第一次大戦後、車の生産が再開された頃、アルファ・ロメオと呼ばれるようになった。
 アルファ・ロメオとレースはコインの裏表のような対のもので、切っても切り離せない。1911年にレースデビューし、1920年にはレースで大勝利をおさめている。アルファ・ロメオは数々の名車を作り続け、第二次大戦中も少数ながら手作業で生産が続けられた。戦後は、IRI(※産業復興協会。事実上、国営企業)に吸収され、量産メーカーに転身する。そして、1900と言うタイプのアルファ・ロメオの大量生産が始まった。

 1947年のアルファロメオの試作車6C2500(河口湖自動車博物館にて)

 1900の後を受けて、1954年のトリノ・ショーで"ジュリエッタ・スプリンタ"と言う小型のスポーツカーが発表され、人々に衝撃を与えた。1.3リッターと言う小排気量のエンジンを搭載し、1900と比較して価格は2/3だった。アルファ・ロメオの"ジュリエッタ"と言う名前は、小さなジュリア(※ジュリアの妹)と言う意味で、"ロメオとジュリエット"の物語にひっかけて名づけられた。全長は僅か、3.98メートルと言うコンパクトさで、重量も900kgに満たない軽量だった。エンジンは、レースで培われた技術がふんだんにフィードバックされていて、当時安価な量販モデルにこれだけのスペックを持つエンジンは見られなかった。65ps(/6000rpm)の最高出力と、11kg-m(/4000rpm)のトルクを発揮した。
 1956年には、90psのハイ・パワー・バージョンの"スプリント・ヴェローチェ"が加わる。ジュリエッタ・スプリントも、1597年モデルより70psにパワーアップ。そして1958年モデルから後期モデルに突入していく(一般に初期型をティーポ750、後期型をティーポ101と呼ぶ)。各部の剛性や耐久性の向上が図られただけでなく、様々な変更やセッティングの見直しがなされた。最高出力は80psになり、シフト・レバーはコラム・シフトからフロアに移設された。外観も、ベルトーネのチーフ・デザイナーとなったジウジアーロによる各部変更が行なわれ、顔つきもかなり変わった(1962年に、ジュリエッタ・スプリントは"姉"のジュリア1600スプリントへとモデル・チェンジされる)。

 ジュリエッタSZ1(松戸市内・AUTO TRADINGにて)

 ジュリエッタ・スプリント・ヴェローチェには、何台かのスペシャル・モデルがある。スペシャル・ジュリエッタ・スプリントには、チューンされた100psのパワーユニットが搭載され、外観も若干変更された。この時期に、スパイダー用のシャシーとスペシャル・エンジンが、ザガートとベルトーネに渡されている(※ザガートは、アルファ・ロメオの発展を支え、数多くの高性能スポーツカーを手がけてきた会社。BMWとアルピナ、ベンツとAMGのような関係)。このスパイダー用のシャーシーに、スペシャル・メイドのボディを架装したモデルが、ジュリエッタSZとジュリエッタSSである。SZは、アルミの軽量ボディを架装することで車重は僅か785kgだった。生産台数は、210台。SZは、この後SZ2へと発展していく。
 そしてSZの後継車として、TZやTZ2が開発されていく(※Tはチューブラーフレーム、Zはザガート)。TZは、ファストバックルーフで、テールを垂直に切り落としたような、コーダ・トロンカを形成する。SZがジュリエッタの1,290ccエンジンを使っていたのに対し、TZは拡大された1,570ccの水冷4気筒DOHCエンジンを積んでいる。112psの出力を発揮し、最高速度は215km/hに達した。レース用モデルでは、130psで242km/hに達し、名チューナーのカリカリチューンではなんと160psで最高速度280km/hに達したと言う。TZの車重が僅か660kgしか無かったのを考えると、これはなかなかのパワウェイトレシオである。これだけの性能を発揮したTZだったが、SZ時代からのレースのライバルであるポルシェには、苦戦した。2リッターエンジンを積むポルシェ・カレラ2は速く、その後もカレラ・アバルトや904GTSを矢継ぎ早に投入してきたため、1,300~1,600ccクラスでは敵無しのTZも、ポルシェには勝てなかった。
 さて、もう一方のベルトーネに渡された方のジュリエッタSSの方は、レース志向よりは若干ラグジュアリーな雰囲気のモデルで、車重は860kg(SSは1963年に1.6リッターエンジンのジュリアSSになる)。ジュリエッタSSは1366台、ジュリアSSが1400台デリバリーされた。

 ジュリエッタSZ1の後ろ姿(松戸市内・AUTO TRADINGにて)

 ジュリエッタには、上記のスプリント(※ベルリネッタ・タイプと言う/クーペタイプの事)の他に、セダンタイプのジュリエッタ・ベルリーナと、オープンタイプのジュリエッタ・スパイダーと言う、3つのボディタイプがある。ちなみに、ベルリーナとは「ベルリン式の幌付き馬車」と言う意味で、サルーンを意味するイタリア語である。ベルリネッタは、ベルリーナの小さな物、つまり小さなサルーン(クーペと同じような意味)と言う意味である。スパイダーには"蜘蛛"の他に"フライパン"と言うような意味があり、屋根を完全に解放できるフルオープンカーに使用される名称である。
 ベルリーナの生産台数は、ベルリネッタの約5倍にあたる。スプリントと同じ4気筒ツインカム・ユニットが搭載されているが、実用性を高める為にディチューンされて53psになっている。車重は、スプリントよりも20kg重い。しかし、高性能バージョンのベルリーナを求む声も多く、T.I.と言う65psのタイプも追加されている。1961年には、デザインが少し変更され、性能も若干アップした。パワーはノーマルで62ps、T.I.では74psとなった。ちなみに、ジュリエッタ・プロミスクァと呼ばれるステーション・ワゴンも、たった92台だけだが作られた。
 1955年に登場したスパイダーも、パワーもメカニズムも基本的にスプリントと同じ。しかし、外観はかなり違う。スプリントはベルトーネデザインだが、スパイダーのフォルムはピニンファリーナの手によるものだ。最高速は、165km/hに達した。翌年には、高性能バージョンのスパイダー・ヴェローチェが加わる。出力は90psで、最高速は180km/hに達した。1959年にはマイナーチェンジが行われ(ノーマルのパワーは80psにアップ)、1962年には各所の小変更が行われ、ハードトップもオプション設定された。1962年に、このスパイダーも姉の"ジュリア・スパイダー"へとモデル・チェンジした。

 ジュリア・スプリント・スペチアーレ(河口湖自動車博物館にて)

 ジュリエッタからモデルチェンジされたジュリアは、1.6リッターのエンジンを搭載するモデル。1.6リッターエンジンは、92psを発揮。トランスミッションも、4速から5速になっている。
 1600ジュリア・スプリントは人気が今ひとつで、1.3リッターのジュリエッタ・スプリントが多くの要望の声で復活した。1600スプリントの生産が1964年で終わったのに対し、1300スプリントの生産は1965年まで続けられた。一方、セダン型のベルリーナは、スプリントのように1.6リッターエンジンを搭載することなく、ニュー・モデルのジュリアT.I.にその座を譲り渡して、1965年に生産を終了した。

ジュリア・スーパー1.6・ベルリーナ(中央区湊近辺にて)

 スパイダーは、スプリントと同様に1.6リッターエンジンが搭載された。外観上の変更は、ボンネットにエア・スクープが設けられ、それに伴い中央にあったメッキラインが無くなり、テール・レンズが大型化された。1964年に追加されたスパイダー・ヴェローチェは、112psまでパワーアップされた。最高速は、ノーマルで172km/h、ヴェローチェで180km/hに達した。スパイダーは、両タイプとも1965年まで生産された。

 ジュリア・スパイダー(河口湖自動車博物館にて)

 ジュリエッタ・シリーズは、スプリントが2万7,142台、ベルリーナが13万1,876台、スパイダーが1万7,096台、総計17万7,690台がデリバリーされた。1.6リッターエンジンを積むジュリア・シリーズは、スプリントが7,107台、スパイダーが9,250台生産されていて、両シリーズで19万4,047台となる。アルファ・ロメオは、これらのシリーズによって量産メーカーとしての地位を確かなものにした。

 GT1300ジュニア(中央区銀座にて)

 1963年に、ジュリアの1600スプリントが一新され、ジュリア・スプリントGTが登場する。デザインは、ジウジアーロである。この車は、フロントに特徴的な段があり、日本では〈段付き〉と言う愛称で親しまれた。また、GT1300ジュニアも生み出されていく。この辺りの車は、ジュリエッタと同様に日本でもエンスージアストが多く、40年経った今でも街中で(僅かではあるが)まだ見かけられるアルファ・ロメオ車である。GT1300ジュニアの全長は、4,080mで、初代のジュリエッタ・スプリントと比べると若干大きくなっている。(全幅と全高はそれぞれ、1,580mmと1,380mm)。車重は、1,000kg。また1960年代も後半に入ると、アルファ・ロメオGTは1750cc(正確には1770cc)に排気量がアップされたり、1966年には新たなタイプのオープンカー、アルファ・ロメオ・スパイダーが生み出されていく。

 ジュリア・スパイダー・デュエット(お台場ヒストリーガレージにて)

 後方から見たスパイダー(同ヒストリーガレージにて)


 1967年に、ジュリア・スプリントGTをベースにGTAが製作される。"A"の文字は、軽量化済み(アレッジェリータ)の頭文字である。外観は、スプリントGTと大差無いが、内容は別物と言っても良い車である。ルーフを含むボディ外板には低圧アルミパネルが採用され、車重はノーマルよりも205kgも軽い745kgだった。1,570ccの直列4気筒DOHCエンジンの最高出力は、115ps(/6000rpm)にまでアップされている(ワークスチームの手に渡ると、なんと160psのエンジンが搭載され、しかも700kgにまで軽量化された)。GTAは、数々のレースシーンで勝利をおさめた。生産台数は500台とされているが、実際にはもっと多くのGTAが存在するらしい。
 同じ1967年、GTAの1.3リッター版のGTA1300ジュニアが登場する。この車のベースは、アウトデルタによって製作されたGTAコルサで、市販のGT1300ジュニアとは大きく異なる。エンジンパワーは、96ps。ボディやサスペンションは、市販の1.6GTAと同じだった。コンペティション・モデルのGTA1300ジュニア・コルサでは160ps(/7800rpm)を発揮し、後期モデルでは165ps(/8400rpm)に達した。GTA1300ジュニアは、1968~75年に、492台が生産されたと言う。

 GT1300ジュニア(中央区銀座にて)

 第二次大戦前のアルファ・ロメオは、生粋のスポーツカー・メーカーだったが、戦後量産メーカーとして生れ変わっても、レースへの意気込みは変わらなかった。ヒット作のジュリエッタにも、前述のようにレーシング・モデルが製作された。これに対し、セダンのベルリーナにも高性能モデルを望む声が高まり、ジュリエッタT.I.がラインナップされ、レースにおいて輝かしい戦歴をいくつか残した。同様にジュリア・シリーズにも、ベルリーナの高性能バージョンのジュリアT.I.スーパーが製作された。外観は、ヘッドランプは4灯式から2灯式となったりいくつかの変更が行なわれ、ジュリアT.I.と若干だが変わった。車重も軽量化が図られ、ノーマルより90kg軽量の910kgとなっている。最高出力は、ノーマルから20psアップの112psとなっている。最高速は、185km/hに達した。4ドアセダンながら、GTAを追いまわす実力を持っていたと言う。過激な箱ジュリアT.I.スーパーは、1963~64年の間に501台が製作されたと言われる。

GT2000(関越道/某SAにて)

GT2000(千代田区市ヶ谷にて)


 1969年には、ザガートと2シーターのスポーツカージュニアZを造る。シャシーなどのコンポーネンツはジュニア・スパイダーと共用しているが、デザインはザガードらしい先鋭的なもの。ジュニアZは、1974年まで生産される。

ジュニアZ(中央区銀座にて)

 さて、1960年代まで素晴らしい車の数々を出してきたアルファ・ロメオだが、1970年代に入ると苦戦を強いられる。否、苦戦を通り越して、ジリ貧だった。事実上国営企業だったから、南イタリアの雇用促進と言う政策の犠牲を強いられ、生産性の悪い南イタリアに工場を作らねばならず、それまでも十分に苦しかったアルファロメオの経営にはこれは相当な負担になった。経営がとても苦しいから、当然、技術開発投資も圧迫させられていく。エンジンもシャーシーも古くなり、魅力の無い新車をリリースしていくが、そんな車が売れるはずもなく、赤字はさらに膨らんでいく・・・アルファ・ロメオは、泥沼の悪循環に陥っていった。
 正直、僕も1970~80年代のアルファ・ロメオにはほとんど魅力を感じないし、この時期の車についても(興味が無いので)、あまり詳しくない。

 スパイダー・ベローチェ(千代田区市ヶ谷にて)

 それでも1970年代初期にもGT1750やGT2000と言った車はがんばっていたし(今でも人気がある)、75はアルファらしいFRを踏襲していたし、スパイダーは27年間も基本コンセプトを変えずに1993年まで生産された(逆に言うと、27年間も新しい車を開発できなかったと言うことの裏返しかもしれないが・・・)。スパイダーはその27年間の歴史で、4世代ボディスタイルを変え、1989年にデビューした最終バージョンでは排気量は2.0リッターで120psを発揮した。アルファ・ロメオと共に発展したザガードも、1972~75年に1600ジュニア・ザガードを402台作っていて、このジュニア・ザガードの根強いファンもいる。
 この他にも1970~80年代にアルファ・ロメオは色々と車を生産しているのだが、この頃のアルファ・ロメオ車は僕自身があまり知らないので、この辺でお茶を濁させていただき、話しを1980年代後半に移します。

 スパイダー・ベローチェの後姿(千代田区麹町にて)

 アルファ・ロメオの転機は、1980年代後半に訪れる。
 国営企業のIRIは赤字続きで、このままではイタリアと言う国家自体が危ないと言うところまで追い詰められる。業績の悪いアルファ・ロメオは売却の対象となり、政府の役人がフィアット・グループのアニエッリの所に売却交渉に行く。しかし、アニエッリは自分達が必死の思いで稼いだ金が、長年税金と言う形でアルファロメオの赤字補填に注ぎ込まれていたのが、そもそも面白くなく快く思っていなかった。当然、役人の申し出にアニエッリは怒る。「ランチアまで買わされて困っているのに、何でアルファ・ロメオまで買わにゃあかんのじゃぁ、ボケ!あんな会社潰してしまえ!」と言ったかどうかは分からないが、似たような事を言ってアニエッリは断る。それもそのはず、フィアットはすでに、アウトビアンキ、ランチア、フェラーリ、セアト、アバルトと言った"儲からない自動車メーカー"を一手に押し付けられていたのである。「これ以上の赤字会社の押し付けは、とんでもない」と言うアニエッリの対応は、至極もっともな話しであろう。
 しかしここからが、イタリア人の面白いところ。アメリカのフォードが、「アルファ・ロメオ、うちが買いましょうかぁ?」と言い出だすと、話しは一転する。するとフィアットのアニエッリは、先の役人を呼びつけ「アルファ・ロメオを、アメリカの企業なんかに売ってどうする!しょうがないから、うちが買う」ってな感じでアルファ・ロメオを買うことになった。当の役人がキョトンとしていると、アニエッリは答える。「(買う)理由は一つしかありませんよ。アルファ・ロメオが、イタリアの誇りだからです」(これは、フランスボルドーのとある名シャトーをアメリカの企業が買収しようとした時に、フランス中がこぞって反対して阻止した話しに似ている)。
 イタリアには、こう言う話しがけっこう多い。例えば、有名な話しの一つにこんな物もある。1946年、アルファ・ロメオから独立していたフェラーリの名前を冠した最初のモデル、ティーポ125が作られた。設計者は、エンツィオ・フェラーリがアルファ・ロメオから引き抜いたヨアッキーノ・コロンボである。しかし、フェラーリはなかなかアルファロメオに勝てない。エンツィオの前に、アルファ・ロメオの壁が立ちはだかる。1950年にF1グランプリが組織されるが、1951年、コロンボはフェラーリのF1マシン開発から外されて、再びアルファ・ロメオに戻ってしまう。こう言う背景もあり、1951年のF1は因縁めいた対決となる。そして、7月のシルバーストーンGPで、壮絶なバトルの末にフェラーリはアルファ・ロメオを破る。エンツィオは狂喜した。エンツィオは、自分を追い出したアルファ・ロメオのマネージング・ディレターに、「私は今でもアルファ・ロメオに対して、初恋にも似た若々しい感情を抱いております」と電報を打ったとされている。また勝利を成し遂げた日を、こんな風に回想している。「私はその時嬉しくて泣いたが、その涙には悲しみも含まれていた。なぜなら、私は自分の母親を殺してしまったのだから・・・」。
 イタリア人が、アルファ・ロメオに抱く感情の一端が伺える話しの一つである。

 ザガートSZ(東北道/某SAにて)

 前置きが長くなったが、1987年、こうしてアルファ・ロメオはフィアット傘下に入る。しかし、すぐにアルファロメオの快進撃が始まったわけではない。まず名門アルファ・ロメオの殻を破る必要があった。アルファ・ロメオらしさを失わせずに、アルファ・ロメオを改革していくのは至難の業だった。FRレイアウト、トランクアクスルと言う伝統にピリオドを打ち、アルファ・ロメオ164以降のラインナップは、すべてFFに統一されていく。この方針に、多くのアルフェスタが悲観的になった。「FFのアルファ・ロメオ?有り得ん」・・・そう思ったアルファ乗りのエンスージアストは、多かったはずだ。
 そんな中1988~90年にかけて、アルファ・ロメオが再びザガートと組んで、SZと言う名前を冠したモデルを1,000台のみ限定生産した(オープンにしたRZも350台生産された)。SZのエンジンは熟成を重ねた3000ccV型6気筒SOHCで、車重は1,260kg、最高速度は245km/hに達した。加速は、暴力的ですらあると言う。この新SZは、色んな意味で旧来のアルファ・ロメオのイメージを破壊した。旧来のアルファ・ロメオとまったく違う未来的なデザインなのに、どう見てもアルファ・ロメオなのだった。ザガートSZは、アルファ・ロメオ復活の旗印になった。

 ザガートSZの後姿(東北道/某SAにて)

 そして164、155、145の登場、スパイダーのフル・モデルチェンジ、GTV登場と、新生アルファロメオは次々と手を打っていく。1991年に164が登場し、1992年には155が生産開始され、1994年には145が生産開始される。スパイダーとGTVが登場したのが、1995年。次は、このスパイダーとGTVについて見てみよう。

 GTV(中央区銀座にて)

 アルファ・ロメオGTVは、1994年のパリショーでデビューして、翌年からイタリアで販売開始された(日本導入は1996年)。デザインは、ピニンファリーナ。2+2の四人乗りである。当初は、2リッターターボのTBだけだったが、後に3リッターのV6が追加された。いずれも5速マニュアルのみの設定だったが、1998年末には6速化。2003年には、ピニンファリーナの手で大掛かりなマイナーチェンジが施される。盾型のアルファグリルが大きくなった。同時に、3.2リッターのV6DOHCエンジン搭載車が設定された。最高速度は255km/hに達すると言われる。パワーはそれぞれのエンジングレード別に、150ps、218ps、240ps。全長は、4,295mm(全幅と全高は、1780mm×1320mm)。車重はエンジン・グレードによって当然異なり、1,350~1,420kg。FFがどうのこうのと言う次元を超えた、古典的な乗り味のスポーツカーである。ちなみに"GTV"とは"グラン・ツーリスモ・ヴェローチェ"の事で、アルファ・ロメオの従来のネーミングを引き継いでいるのである。

GTV3.2V6 24V(千代田区市ヶ谷にて)

 同じ1995年に登場した新型のアルファ・ロメオ・スパイダーは、2+2クーペのGTVを2シーターのフル・オープンにしたモデル。全体的なフォルムはGTVと似ているが、リアエンドのデザイン処理が微妙に変えられている。大きさは、GTVとほぼ同じ。車重は、GTVより各々50kg重くなる。GTVもスパイダーも価格帯は400~500万円だから、(147が250~450万円である事を考えると)コスト・パフォーマンスは高いかもしれない。

 スパイダー(地元市内にて)

 145、155、164は、それぞれ147、156、166にモデル・チェンジされている(それぞれ2001年、1998年、1999年にモデルチェンジされた)。
 2004年には、アルファGTも発売開始された。156をベースに、快適さとエレガンスが共存するスポーティーカーと言うコンセプトに基づいて開発された5人乗りの車。名門カロッツェリアのベルトーネ社とアルファ・ロメオ・スタイルセンターとのコラボレーションによって完成した。2.0リッター直噴エンジンと3.2リッターV6エンジンのタイプがあり、パワーはそれぞれ166ps、240ps。3.2は6速マニュアルだが、2.0はATモード付きのシーケンシャル・トランスミッションのセレスピード。先進の様々な機能が搭載されていて、現代的なコンフォート機能も装備される。GTV以来、アルファ・ロメオの久々の2ドアクーペモデルである。

 スパイダー(千代田区市ヶ谷にて)

 今回は、アルファ・ロメオのライトウェートスポーツを中心に見てきたが、いつの日かアルファ・ロメオのスーパースポーツの名車"テイーポ33ストラダーレ"や、子供の頃憧れた"モントリオール"、最新型のスポーツモデルの"コンペティツィオーネ"達に出会って、このホームページで紹介したいなぁ・・・。でも、街中で走っているのを見るのは、ちょっと不可能だろうな。いつか十分な余暇時間が取れたら、以前のようにまた自動車博物館巡りでもしたい。

小さな一言…自分で撮影した写真を見て思ったのだけど、アルファロメオってほとんど赤いボディだな、やっぱり。


追記:2005年10月、初めてアルファの新型GTを事務所の真ん前で見ました。


追記:2009年8月、隣町でGTを見ました。実車は、迫力がありますね~。















 マイコレクションより"アルファロメオ・TZ1"

 マイコレクションより"アルファロメオ・ジュリエッタ・スパイダー"

 マイコレクションより"アルファロメオ・スパイダー"

参考・引用文献
アルファロメオ          (カーコレクション/デルプラド)
アルファロメオTZ1  (レーシングカーコレクション/デルプラド)
快楽のアルファロメオ                (中央公論社)
本音の車選び2003                (洋 泉 社)
国産&輸入車購入ガイド             (JAF出版情報)
間違いっぱなしの車選び             (中 経 出 版)
グー・ホームページ
カーセンサー・ホームページ      他

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