日産 スカイラインGT-R
(2009年11月22日記載)
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さて、今回からしばらく、日本が世界に誇るGTカー達を取り上げよう。ところで、GTカーとはご存知の通り"Gran(d) Turismo(グランツーリスモ)"の略で、長距離ドライブを高速かつゆったりと安全に移動できる車の事である。とは言いつつも、国内外でGTカー選手権等が行われていることから、GTカー=スポーツカーと言う誤解も生まれている。果ては、レーシングカーというカテゴリーもごちゃ混ぜになってしまっている観もある。そこでこれからGTカーを取り上げる上で、これらのカテゴリーを簡単に説明しておきたい。
GTカーとは、上記でも述べたように長距離をスムーズかつ高速、安全に移動できるように作られた車。なので、それなりに大きな出力のエンジンを積み、足回りも安定している。荷物も多めに積め、(家族等が移動できるように)4人~5人乗りのセダンである事が多いので車体も大きめで、当然、車重も重めとなる。
一方、スポーツカーは、スポーツ走行をするために生み出された車。近年は高出力のエンジンを積み、足回りもスポーツ走行に適したパーツが組まれている。前後の重量配分の適正化のため、2シーターである事がほとんど。しかし、昔は必ずしも強力なエンジンを積んでいる訳でも無かった。非力なエンジンパワーを補うため、車体を極力小さくし軽くしてパワーウェイトレシオを高め、運動性能を高めたスポーツカーも多かった。一般に、これをライトウエィトスポーツカーと呼ぶ。
そして最後にレーシングカー。これは、スポーツカーとはまったく違う。軽く丈夫な車体で作られ、エンジンは市販車が遠く及ばない強力なエンジンを積み、ブレーキも足回りもレース用の特別なパーツを組む。レーシングカーは過酷な極限状況で使用されるので、1回のレースが終わったと同時にすべてのパーツが壊れるのが最上のレーシングカーとすら言われる。最先端の技術を投入されるので、F1マシンなどは走る実験室と言われる所以である。
とまあ書いたが、レーシングカーは別としても、GTカーとスポーツカーの境界は、現在では随分と重なっている部分が多いのも事実である。なので通常の一般モデルに対して、GTカーを"スポーツモデル"と言う場合も最近多く見受けられる。
では、スカイラインGT-Rの話に移ろう。スカイラインの歴史を追いながら、GT-Rの歴史を見て行きたい。現代もスカイラインマニアは数多い。スカイライン伝説は、1964年5月3日に誕生した。第二回の日本GT-Ⅱレースの7週目で、新参者のスカイラインが強敵ポルシェ904をヘアピンカーブで抜き去ったのである。その瞬間に、スカイラインGT-Rは伝説となり、特別な車となった。
1964年型初代スカイラインのGTタイプ(秋葉原にて)
※このスカイライン2000GTはレース出場のホモロゲーションのため、100台の限定生産車。
まだ当時は、車と言えば便利な移動のためのツールでしかなかった。しかし、サーキットを高速で走るスポーツカーやレーシングカーを見るに付け、次第に車の別の面の魅力も人々が知ることとなった。しかし、当時の日本では、まだスポーツカーやGTカーを作り上げる技術的な土台が無かった。こうした高性能な技術は、走る実験室たるレースで戦うことで技術を蓄積する必要があったのだ。各メーカーは、急ピッチで高性能車の開発を始める。中でも旧中島飛行機系のプリンス自動車は、高性能車の開発に熱心だった。
1962年型初代スカイラインクーペ(石川県・自動車博物館にて)
1962年型スカイラインクーペ(東銀座日産本社ギャラリーにて)
日本GPレースは、新型車アピールには絶好の舞台。プリンスは、1.5リッター直列4気筒エンジンを搭載した"スカイライン"と名付けた小型自動車の発売を控えていたが、第二回の日本GPに参戦することを決定。しかし、時間は限られている。小型のスカイラインの車体と、一クラス上のグロリア用の2リッターエンジンを組み合わせ、マシン開発に要する時間と費用を大幅に減らした。第二回日本GPのホモロゲーション(出場認定/過去一年間に最低100台の生産義務)を得るため、スカイラインは1964年3月に発表され、5月1日に発売が開始された。そして日本GPでのスカイラインGTの大活躍により、ディーラーに購入希望者が殺到した。当初100台限定だったGTは、翌年、正式カタログモデルに発展した。同年9月には、シングルキャブ仕様のGT-Aを設定。同時に従来のGTは、GT-Bを名乗るようになった。
スカイライン伝説の始まり(スカイラインGTBレーシング/東銀座日産本社ギャラリー)
1965年2月のカタログモデルの性能その他は次の通り。スカイラインGTの全長は4,255mm(全幅1,695mm,全高1,410mm)、車重は1,070kg。2リッターエンジンの最高出力は125ps(1964年発売版は105ps)、サスペンションは前がウィッシュボール、コイル、後が半楕円リーフ(トルクリッド付き)、ブレーキは前がディスクで、後がリーディングトレーディング。価格は88万円だった。ちなみに、第二回日本GPに出場したスカイラインのエンジン出力は165psで、全長は4,300mm、車重は990kgに抑えられている。
GT-Rの特別展示(1969年型4ドア/日産本社ギャラリーにて)
GT-R/PGC10(1969年型4ドア/日産本社ギャラリーにて)
2代目GT-R/KPGC10(1970年型2ドアHT/ヒストリーガレージにて)
さて、スカイライン伝説は、1966年に大きな転機を迎える。その年の8月、スカイラインGTを生んだプリンス自動車は、日産自動車に吸収合併されて消滅する。しかし、ブランド名は残った。スカイラインもその一つ。このスカイライン、1969年に全面的なモデルチェンジが行われて2代目となった。その中に、スカイラインGT-R(PGC10)があった。従来、おじさんが乗るイメージの4ドアセダンなのに、高性能のスーパーセダンだった。それで、BMW2002などがそう呼ばれたように、PGC10は「羊の皮を被った狼」などと呼ばれ、単純にハコスカとも呼ばれたりもした(※箱型=セダンのスカイライン)。GT-Rの"R"は、もちろんRacingの意味。
R380(東銀座日産本社ギャラリーにて)
このPCG10に積まれたエンジンは、なんとレーシングプロトタイプR380用に開発されたS20と言うパワーユニットなのである。ミッドに2000ccの水冷4サイクル直列6気筒DOHC24Vエンジンを積んだ僅か640kgのR380は、谷田部にて7種目の国内速度記録を樹立した。R380は、1966年の第三回日本GPで宿敵ポルシェカレラ6を破って総合優勝を獲得した。このエンジンをデチューンして(※220ps以上→160ps)積んだのだから、PGC10はチューニングでパワーを取り戻すことができ、レースで強いのは当然だった。GT-Rは、負けるとニュースになるぐらいのレースでの不敗神話を築いていった。最初の勝利は、1969年5月3日のJAFグランプリでのTSクラスの優勝で、以後1970年シーズン終了まで通算24勝の記録を樹立した。
レーシングタイプGT-R(東銀座日産本社ギャラリーにて)
GT-Rは、1970年に従来の4ドアセダンから2代目GT-Rである2ドアハードトップのKPGC10型に移行した。1970年モデルのスペックは、次のようなものである。全長4,330mm(全幅1,665mm×全高1,370mm)、重量1,100kg。160psの最高出力で、最高速度は200km/hに達する。サスは前後とも、ストラット/コイル式。ブレーキは前がディスクで、後ろがドラム。GT-Rは当初からモータースポーツ専用モデルとして考えられていたので、ヒーターやラジオなどの快適装備は一切無し。高級セダンと勘違いして購入し、エアコンやカーステなどの高級装備を付けてしまったおじさん達もいたとか(笑)。
GT-R/KPGC110(東銀座日産本社ギャラリーにて)
後方から見たKPGC110(東銀座日産本社ギャラリーにて)
PGC10のGT-Rは、1973年にハードトップのKPGC110型へとフルチェンジされた。スカイラインとしては4代目、GT-Rとしては3代目である。"ケンとメリーのスカイライン"と言うCMのキャッチコピーから、ケンメリGT-Rと呼ばれた。エンジンはPGC10と同じタイプでパワーも同じ160psだったが、重量が45kgも増えて1,145kgになってしまったため、レースカーにとってはマイナス要因となった。全長も4,460mmと大きくなった(全幅1,695mm,全高1,380mm)。しかし、4輪ディスクブレーキとなり、リアスタビライザーやラジアルタイヤを装備し、走りの質はトップレベルにあった。
幻のGT-Rレーシング(お台場ヒストリーガレージにて)
※このレーシングタイプは、東京モーターショーに参考出品されたプロトタイプで、1973年より実戦投入する意気込みを示すためゼッケン"73"を付けて展示された。しかし、より厳しい排気ガス規制に適合した車が求められる時代となり、日産自動車はレース活動を一時休止とした。この車は一度もサーキットを走る事が無かったため、幻のGT-Rとも呼ばれた。
このタイプもGT-Rの連勝記録を伸ばし、1972年3月の富士GC300キロレースで高橋国光選手が記念すべきGT-R50勝目を挙げた。同年9月の富士GCシリーズ富士インター200マイルレースで、北野元によって通算52勝目をあげた。しかし運悪く、HPGC110のGT-Rはオイルショックの影響をもろに被り、残念ながら197台を生産したのみで生産中止となり、スカイラインGT-Rの初期クラシック時代は終わった。
続いて1977年8月、通称"ジャパン"と呼ばれる5代目スカイラインが登場。ファンの期待をよそに、5代目には最後までGT-Rは設定されなかった。
1981年、6代目スカイラインが登場。R30型と呼ばれるスカイラインは、発売前からファンの期待が大きかった。ボディはワイド化されたが、全長は短く、車高も低く、シャープなスタイリングを実現した。ポール・ニューマンがCMキャラを努めたことから、ニューマン・スカイラインとも呼ばれた。
スカイラインRSターボ(地元市内にて)
"鉄仮面"スカイラインRSターボ(秋葉原にて)
スカイラインターボ/スーパーシルエット仕様(日産ギャラリーにて)
6代目スカイラインは、5代目でも設定されたターボモデルも用意され、更にツインカムユニットであるFJ20型を搭載したRSも登場した。更にその後、190psのハイパワーを発揮するRSターボも登場、フロントフェイスは更に精悍になった。内容はレーシングユニットそのものなのだが、(4気筒故なのか?)GT-Rの名称は与えられなかった。ちなみにマイナーバージョン後の後期型は、そのスタイルから"鉄仮面"と呼ばれた。6代目スカイラインはテレビの刑事ドラマ"西部警察"に登場し、今でもマニアックな人気を維持している。
1985年8月に、スカイラインは7代目にチェンジ。210psを発揮する直列6気筒のターボバージョン、最新の四輪独立操舵システムを装備するバージョンもあったが、おとなしいエクステリアで売れなかった。これまた、GT-Rの設定が無かった。
3代目GT-R/R32(東銀座日産本社ギャラリーにて)
1989年5月、スカイラインは8代目(※R32型)にモデルチェンジ。そして16年ぶりにGT-Rが復活した!GT-Rとしては4代目である。これまでのGT-Rを懐かしむ懐古趣味的車ではなく、最新鋭のスポーツモデルであった。外観も、走りを予感させるエクステリアへと生まれ変わっていた。GT-Rは、2,600ccの直列6気筒4バルブDOHCエンジンにツイン・セラミックターボでハイパワーを発揮したが、最高出力は自主規制値の280psに留めていた。ただし、600psのチューンを見越したレーシングベースモデルであり、これまでの国産車とはレベルを異にしたスーパースポーツマシンであった。 実際に、全日本ツーリングカーレース(グループA)では、参戦した全シリーズで1度の負けもない完全勝利を達成し(29連勝!)、新たなGT-R伝説を築いた。そして、GT-Rの進化は止むことなく続いた。
全長は4,545mm(全幅1,755mm×全高1,340mm)、車重は1,430kg。サスは、4輪ともマルチリンクサスペンション。ブレーキは4輪ともサーボ・ディスク。そして電子制御トルクスプリット4WDアテーサETCを搭載。
GT-R /グループAタイプ(東銀座日産本社ギャラリーにて)
スカイラインシリーズは、1993年に9代目(R33型)にモデルチェンジ。同年のモーターショーにGT-Rも(参考モデルが)披露されたが、それがあまりに不評で、改善改良の上、1995年にようやく世に出た。スーパーテクノロジーはR32GT-Rのものが踏襲されたが、大幅に大きくなったR33のボディに合わせるため、軽快なフットワークを得るのに最後まで苦労したと言う(※全長は4,675mm(全幅1,780mm×全高1,360mm)、車重は1,540kgと、大きくそして重くなった)。
尚、R33GT-Rをベースにしたロマン24時間参戦用のホモロゲーションが、2台(?)製作された。
4代目GT-R/R33(地元市内にて)
GT-R Vスペック(東銀座日産本社ギャラリーにて)
さて、1999年1月、スカイラインは10代目(※R32型以降の新コンセプトでは3代目)のR34型にモデルチェンジした。スーパーテクノロジーやエンジンユニットはR33から受け継ぎ、ボディは圧倒的に剛性アップされ、ハンドリングも更にブラッシュアップされた。R34GT-Rにも、先代同様Vスペックモデルが設定されている。GT-Rのパフォーマンスは、ポルシェやフェラーリの市販ロードモデルに比肩するまでに高まった。全長は4,600mm(全幅1,785mm×全高1,360mm)、車重は1,560kg。
5代目GT-R/R34(隣の市にて)
世紀が変わって、2007年、GT-Rがよみがえった。スカイラインのネーミングは外され、"日産GT-R"として再スタートを切った。スカイラインの名は外れたものの、誰が見ても一目でGT-Rと分かるエクステリア。バックの4連テールも健在である。しかし過去のGT-Rの中で、もっともアグレッシブで精悍でスーパーカーなデザインとなった。否、デザインだけでなく、実際にGT-RはスポーツカーやGTカーの枠を超えて、スーパーカーの域にまで昇華したと言っても良いと思う。
フロントミッドシップに搭載された3.8リッターのツインターボエンジンは、480psを発生する!日産GT-Rは日産の技術の粋を集めたスーパースポーツであり、日本が久々に生み出したスーパーカーだが、決して限られたドライバーのためのスーパーカーではなく、誰もが感動できる車を目指しているとの事。僕はコクピットに座っただけで実際に走行はしていないが、シートに座っただけでもそのワクワク感が伝わってくる。
世界最高クラスの性能を、一般のドライバーが扱える…GT-Rは日産の野心作なのだ。これまでのGT-Rが培ってきたAWDシステムを更に進化させ、徹底的な空力管理で300km/hでも日常会話が成立する言う静粛性。ディスク・ブレーキは、フロント6ポッド、リア4ポッドの強力なもの。GT-Rは"高性能&ハイパワー"と"静粛性と安定性"が、高次元で融合されている。全長は4,655mm(全幅1,895mm×全高1,370mm)、車重は1,740kg。全幅が広いのでやや取り回しがたいへんそうだが、ビギナーからベテランドライバーまで楽しめる奥の深い車。 この性能でこの価格(※777万円~)は、…フェラーリやポルシェの価格性能比を考えれば…滅茶苦茶安いバーゲンプライスである(もっとも僕には買えないが)。
新生GT-R
GT-Rを前から/後方から見た所
強力なブレーキ/コクピット
(※上記のいずれも東銀座の日産本社ギャラリーにて撮影)
数々の伝説を築いてきた過去のGT-R達。そして世界のスーパーカーと渡り合えるスーパースポーツとして生まれ変わった"日産GT-R"。GT-Rは、今後どんな伝説を残していくのだろう。
2011年1月21日追記:時事通信社ニュースより
桜井 真一郎氏(さくらい・しんいちろう=日産自動車の「スカイライン」開発責任者)17日午後10時23分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、81歳。神奈川県出身。葬儀は自ら設立した精密機械メーカー「エス・アンド・エスエンジニアリング」の社葬として、3月15日午後1時から港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。葬儀委員長は大浦清一社長。喪主は長男卓(たかし)氏。
横浜国大卒業後、建設会社勤務を経て52年プリンス自動車工業(現日産自動車)入社。57年に発売された日産の代表車種「スカイライン」の開発に初代から長年携わり、「スカイラインの父」と呼ばれた。
2017年7月15日追記:サイクリングで、栃木県の魔法陣スーパーカーミュージアムに行き、GT-Rを見ました。
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参考・引用文献
国産名車コレクション (アシェッと・コレクション)
The絶版車ファイル (インフォレスト)
昭和の名車 (JTBムック)
国産&輸入車購入ガイド (JAF出版)
日産本社(東銀座)ギャラリー説明プレート
ヒストリーガレージ説明プレート
他
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