トヨタ 2000GT

(2002年8月18日記載)

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 トヨタ2000GT。僕が、国産車で最も美しいと思っている車。そして、ディーノ246GTの次に好きなスーパーカー。ボンドカーとして、特製のオープンタイプの2000GTが007にも登場したことがある。今回は、この素晴らしい車について語ろう。

 銀色の2000GT(田園調布にて)

 僕が初めてこの車の存在を知ったのは、もちろん"サーキットの狼"。作者の池沢さとし氏が、ロータス・ヨーロッパSPに乗る前はこの2000GTだったという事実は、当時の子供たちの間で有名な事実だった。そして、僕が初めてこの車を目にしたのは小学生の時。電車に乗って、田園調布にスーパーカーの撮影に出かけた時、たまたま大通りを走ってくるトヨタ2000GTを発見。すぐにカメラをケースから出して構えて、"ピント"と"露出"を合わせて、しかも"流し撮り"(昔はマニュアルカメラしかなかったのだ。まだオートフォーカスカメラが存在してなかった…)。この神業的撮影がうまく成功し、上のような写真が撮れた。小学生の青二才としては、なかなかの一枚だと自画自賛している。この後2000GTは、トヨタのディーラーのショールームやいくつかのミュージアムで何度か見ている。

 少年時代撮影した2000GT(トヨタのディーラーにて)

 さて、このトヨタ2000GTだが、1965年の第12回東京モーターショーに参考出品された。国産車として初めてDOHCエンジンを積む…トヨタとヤマハの技術を結集した夢のスポーツカーとして登場。エンジンはクラウン用の6気筒エンジン(OHC)を、ヤマハ発動機がチューンナップしてDOHCヘッドを搭載した1988ccの3M型エンジン。6600回転で150psと言うのは、今でこそ平凡にも見えるが、当時の日本の技術では最高のレベルに達していたのだ。217.3km/hの最高速度と、205km/hの最高巡航速度を持っていた。このパワーを確実に路面に伝えまたコントロールするため、トヨタがラック&ピニオン式ステアリングを初めて導入、また日本初の4輪ウィッシュボーン型の独立懸架を採用し、165HR15ラジアルタイヤを装着。4輪ディスクブレーキやリトラクタブル式のヘッドライトも、日本初。前後重量比は50.5:49.5で、操縦性にとても優れていた。
 これらは端にカタログ上のことだけではなく、3つの世界記録と13の国際新記録を打ち立てたことからも真の実力がうかがえる。78時間のスピードトライアルは、1966年10月に茨城県谷田部の日本自動車高速試験場で行われた。最初の目標であるクーパーの持つ6時間の国際記録を余裕で更新(6時間の平均速度210.42km/h)、その後も記録を更新し続けるが台風28号が襲来、ドライバーを苦しめる。しかし、快調に周回を重ね、72時間後にはフォード・コメットの持つ世界記録を更新(72時間での平均速度206.02km/h)。78時間で、1万マイルを走りきった(1万マイル走行時の平均スピードは206.18km/h)。また、国内外のレースでも好成績を収め、超一級の実力をみせた。


 少年時代撮影した2000GT(トヨタのディーラーにて)

 2000GTは、足回りや動力性能だけでなく、そのデザインがとても素晴らしい(この車をデザインしたのは、野崎喩(のざきさとる)と言うインダストリアルデザイナー)。もう付け加えて説明するまでもない、美しいボディライン。人間工学、感性工学に基づき、しかも時代を大きく先取りする様々な試みがされた。また、メーターパネルはヤマハ楽器が手がけたと言われる美しい家具のような造形。パーツの一つ一つが一台の車として調和し、芸術品のような完成度を見せた史上稀な国産スポーツカーが、このトヨタ2000GTなのだ。当然値段も高額で、当時の価格で238万円(現在の価格に直すと、750万~800万円ほどになるであろうか)という破格値である。生産期間も短く台数も少ない(337台しか作られなかった)ので、それらが今でもとても大事に乗られている。
 さて、この車はボンドカーになったが、ボンドカーの2000GTは計2台作られた。現在、一台は行方不明で、一台は日本に帰国している。製作を担当したのは、横浜のトヨペット・サービスセンター綱島工場。ルーフを取り去ったオープン2シータースポーツカーとして、スクリーン内を所狭しと疾走した(幌を覆うトノカバーはダミーで、実際にクローズドにはできなかった…映画ではオープンシーンしか必要なかったので)。まだショーカーとしてデビューしたばかりで市販はされていなかったが、ショーモデルをボンドカーとして採用するのは画期的なことだった。これ以上のワールドワイドなプロモーションは、ちょっと考えられないだろう。


 1967年輸出仕様2000GT(お台場・ヒストリーガレージにて)

 僕がこの車について…デザインや性能以外で、素晴らしいと思う点が一つある。トヨタ2000GTは、「白」のボディーカラーが似合う車だということである…まあ、主観なので意見の相違はあろうかと思うが。フェラーリやランボルギーニには、やはりイタリアンレッドが似合う。ポルシェやRX-7には、赤以外に黄色も似合う。アウディTTクーペや新型Zなど最新のスポーツカーには、シルバーが良く合っている。ジャガーなどの伝統的なイギリス車には、ブリティッシュグリーンがピッタリ。しかし、「白の似合うスポーツカーを思い浮かべろ」と言うと、あまり思い浮かばない。強いて言えば、ロータス・エランであろうか。白は、どちらかというとクラウンやセドリックといった大型セダンの専売特許のような気がしないでもない。そういう意味で、白の似合う2000GTは希少であると思う。ちなみに、この間某車雑誌を読んだら、俳優の唐沢寿明の愛車が「真っ白なトヨタ2000GT」だった(あと71年式のポルシェも所有しているらしい。いずれも大切に乗っているとの事)。う~ん、さすが売れっ子俳優。ちょっと、うらやましいぞ。まあ、僕はミニスケールのコレクションで我慢しよう(…トヨタ2000GTは好きなので、ミニスケール・カーを数台、買ってしまった)。



追記:2005年11月、2000GTオーナー(!)のKさんと、インターネットで知り合いになりました。下記のクールなパッケージの2000GTです(ちなみにKさんはデザイナーです)。


ちなみに本ページで最初に紹介した銀色の2000GTですが、Kさんによってその素性が明らかになりました。あの2000GTは、大学教授のO氏(故人)が所有していたもので、マツダコレクションに寄贈された後、物々交換でアメリカに渡り、その後日本に里帰りして現在三重県で元気に走っているそうです。いやぁ~、30年前に偶然撮影できた歴史が明らかになるなんて、思いもしませんでした。驚き。

→Kさんのホームページは、こちらをクリック!


追記:2005年11月、Kさんに貴重なボンドカー・2000GT(上記記事参照)の写真を送っていただきました。



追記:2005年12月、Kさんに富士のイベントのの写真を送っていただきました。
   2000GTがいっぱい!もう感泣もの。



追記:同上月、Kさんにスピードトライアル(※上記記事参照)2000GT画像を送っていただきました。



追記:2009年7月、スイス在住の2000GTオーナー、Luc Aellenさんとインターネットで知り合いになりました。
   親父殿から譲り受けた彼の1968年製2000GTは、今ベルギーにてエンジンチューンナップ中だそうです。


ちなみ彼の2000GTのサイトはこちら!→www.2000gt.net


追記:2009年8月、久しぶりにヒストリーガレージに行ったら、スピードトライアル仕様の2000GTが展示されていました。



追記:2017年7月15日追記:サイクリングで、栃木県の魔法陣スーパーカーミュージアムに行き、トヨタ2000GTを見ました。




追記:2019年12月11日。小学生の時に撮影したモノクロームの2000GTをCGでカラー化しました。






 マイ・コレクションより"トヨタ2000GT"

 同上、ライトポップアップ時

 マイ・コレクションより"トヨタ2000GT"

 マイ・コレクションより"ラピタ限定&トミカリミテッド"

 マイ・コレクションより"トヨタ2000GT"

 マイ・コレクションより"トミカ復刻版2000GT"

 うちの子のプルバック・2000GT


参考・引用文献
ラピタ・2002年10月号よりトヨタ2000GT記事
カー・コレクション     (デルプラド・ジャパン)
GREASE SHOP 解説文         他