クリスチャンのための仏教講座

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5.日本の仏教の宗派

 三回目に釈尊死後の仏教伝播の概略、そして前回仏教の教義の概略を取り上げましたが、大陸を通ってこの日本に到達した仏教の宗派とその教義について見たいと思います。

天台宗

 天台宗は、平安時代に、真言宗と共に日本仏教の中核となった宗派。宗祖・伝教大師最澄上人が、近江国に建立した比叡山延暦寺で、日本仏教の母山ともされています。最澄は767年に生まれ、12歳で出家し、785年に東大寺の戒壇で受戒して僧の資格を得ました。その後も、求道一筋の生活に励みます。797年に彼は十禅師(※十人の高僧)の一人となり、翌年法華経講会を開きます。804年に、遣唐使船(参考:同行者には空海がいる)で唐へ渡り、天台山において智顗(天台大師)が開宗した中国天台宗の法統を受け、さらに密教、禅も学んで、一年後に帰国しました。
 帰国後806年に桓武天皇の信任を受けて、天台宗の創立が公認されます。天皇崩御の後、種々の問題や空海との決別もあって、822年に56歳で入寂します。入寂7日目に、最澄念願の比叡山の大乗戒壇設立の勅許がおり、比叡山を日本仏教の母山形成に導きました。最澄の教えの核心は、万人成仏の道を示した点にあります。
 その後、円仁、円珍の二人高僧により天台密教が確立しますが、両者の弟子の対立で分派を生じます。
本尊は、法華経如来寿量品に説かれた久遠仏、諸仏。経典は、法華経や阿弥陀経など。主要宗派は、天台宗、和宗、聖観音宗、天台寺門宗、天台真盛宗。

真言宗

 真言宗は、弘法大師空海によって開宗された密教教団。空海は、774年讃岐の国で生まれ、18歳の時に状況、儒教・道教・仏教の三学を学びます。その後も山野を遍歴しながら修行し、24歳の時に「三教指帰」(※三学を比較して論じた本)を著します。804年に、私費で(参考:最澄は高僧として公費で渡航した)遣唐使に随行します。翌年、長安(西安)の青竜寺で恵果の弟子となり、密教の奥義を伝授されます。同年12月に恵果が没し、翌806年密教を広めるため帰国します。
 帰国後、高優山に住んで真言密教を広めます。812年には、最澄以下145名の僧俗に灌頂(※密教の儀式)を授けます。823年には、東寺(救国護国寺)を賜り、真言密教の根本道場としました。空海は、仏教事業だけでなく、教育や公共土木等の社会事業でも活躍し、書でも日本三筆と謳われる程の才能を見せました。835年に、高野山にて入定(※高僧の死去の事)。空海の入定後、分派に分かれます。主な分派は、現在16派。
 真言宗の教義の中心は、六大縁起(この世は6種の要素に寄って成り、それらを融合するものが大日如来)と即身成仏(修法により仏と同化する境地)。主な経典は「大日三部経」。本尊は、大日如来。金剛界と胎蔵界の曼荼羅を大日如来の世界を表現したものとして用います。

融通念仏宗

 宗祖・良忍上人(聖応大師)が、1117年に阿弥陀仏から仏勅を受けて開宗した宗派。念仏往生を説く他力往生の宗派。
 良忍は1073年に生まれ、12歳のとき比叡山に入山して修行し、天台教学や密教を修めます。しかし、当時の叡山は貴族社会と密着して堕落・世俗化が著しかったため、叡山を退去。その後、良忍は大原の地に来迎院を開創し、厳しい修行生活に入ります。良忍46歳の時に、阿弥陀仏から「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、是名他力往生」「十界一念、融通念仏、奥百万遍、功徳円満」との口称融通念仏を直受されて、融通念仏宗を開宗。その後、京の町にて鳥羽天皇を始めあらゆる人々に念仏を勧め、その後東海から山陽にかけても念仏を広めました。良忍は、61歳で来迎院にて生涯を閉じました。良忍以後、6世の良鎮まで続きましたが、その後法嗣が絶え、140年間宗の法系は途絶えます。
 この法統を復活させたのは、法名良尊です。江戸元禄期には、大通融観によって大いに進展しました。融通念仏宗の教えは、唱和する念仏の中に、阿弥陀仏の本願力と自己の念仏の力と、すべての人の念仏の力とが互いに響きあい(=融通すると言う事)、現世に喜び溢れ智慧耀く楽土を建設すると言う事。経典は、正衣経典・「大方広仏華厳経」「妙法蓮華経」、傍衣経典・「梵網経」「浄土三部経」。本尊は、十一尊天得如来。

浄土宗

 法然上人を宗祖とする、鎌倉時代に開かれた浄土信仰の教え。法然は、日本仏教を「他力宗」と「自力宗」に二分する思想的源流を構築しました。
 法然は1133年に生まれ、13歳の時に比叡山で学ぶ事機会を得、15歳で出家しました。比叡山では「智慧第一」とまで謳われるようになりましたが、納得のいく究極の境地に達する。様々な経を読む三昧の日夜を過ごし、善導の「観無量寿経疏」等によって確信に至り、43歳で比叡山を下り、東山吉水(※現在の総本山・知恩院の境域)に庵を構えて、日本浄土宗を開宗します。そして「南無阿弥陀仏」を唱える事により極楽浄土に往生できる、との教えを広めました。在来の仏教とは衝突しますが、法然は一躍脚光を浴びます。しかし、75歳の時に弟子の不行や比叡山の反発で四国配流となりました。4年後に京に戻り、翌年「一枚起請文」(※念仏の肝要を述べたもの)を弟子に与えて、80歳の生涯を終えました。法然の死後、門下の弟子達によっていくつもの流派が形成されましたが、現存する流派は、鎮西派、西山派(西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派)です。
 浄土真宗の「一枚起請文」には、「専修念仏(ただ一向に念仏すべし)」が説かれ、念仏する心構えとして、三心(至誠心・深心・回向発願心)、四修(恭敬修・無余修・無間修・長時修)説きます。主要経典は、「浄土三部経」。本尊は、阿弥陀仏(弥陀三尊としては、右に観音菩薩、左に勢至菩薩)。

浄土真宗

 親鸞上人を開祖とする、「絶対他力」を掲げる日本最大の伝統仏教教団。浄土宗から新たに独立した宗派で、「非僧非俗(出家僧でもなく俗人でもない)」を標榜して、妻帯を公然と認めた仏教教団です。
 親鸞は1173年に生まれ、9歳で出家し、比叡山で念仏修行の生活を送りました。29歳の時、長年の修行にも得心がいかず、比叡山を降りて京都市内の六角堂(頂法寺)で百日の祈願をします。六角堂の救世(ぐせ)観音を通して、日本仏教の祖と言われる聖徳太子に祈願しました。満願の五日前の未明に、夢の中で観音のお告げを聞きます。その明け方、親鸞は法然上人(※浄土宗参照)を訪れ、百日間通い続けて念仏による衆生済度を確信して法然の弟子になります。その後、親鸞は旧仏教側からの弾圧で俗人に還り、越後に流されます。この地で妻を得、四年後には許されて常陸に移住し、60歳まで関東で布教に専念しました。親鸞52歳の時に、「教行信証」が完成し、この年が浄土真宗開宗の年とされています。
 親鸞の没後、親鸞を継いだ子孫と門弟との対立し、廟堂を本願寺として独立。織田信長の時代、続く秀吉の時代と、身内の不和や反目によって、西本願寺(本願寺派)と東本願寺(大谷派)に分裂します(現在に続く真宗十派ができます)。
 教えの中心は、念仏を説く事自体が阿弥陀如来の本願力によると言う絶対他力の念仏を説きます。本尊は、阿弥陀如来。主要経典は「浄土三部経」と親鸞の「教行信証」。

時宗

 鎌倉時代の中期に、一遍上人が開宗した浄土教の一派。各地を行脚して「念仏」の札を配って歩く布教方法と、「踊り念仏」によって知られています。
 一遍は1239年に生まれ、13歳の時に九州大宰府の浄土宗西山派の聖達上人について浄土宗を学びました。父の死後、一時世俗に戻りましたが、再び念仏行に専念します。信濃の善光寺で二河白道の図に深く心を打たれ、それを書き写して地元に戻り、窪寺でこの図を掲げて称名念仏の修行を三年間続けました。この時、念仏の信仰を確立し、念仏の境地を伝えるため諸国を遊行し、一所不在の生活を送ります。1274年に、熊野権現で神託を受け、一心に念仏を広める確信が与えられたと言います。この年を、時宗開宗の年とします。一遍は、「南無阿弥陀仏」を徹底させるため、名号札(算と言う)を配って多くの人々の結縁を結ぶと言う独自の布教方法を編み出しました。各地で人々はこの名号札を受け、法悦に浸る「踊り念仏」の輪を広げていきました。一遍は、51歳で他界しました。江戸時代には、12もの分派が生じたそうです。
 本尊は、六字名号。経典は、「浄土三部経(阿弥陀経が正所依)」。

臨済宗

 中国の南宗禅に属する臨済宗の印可(※師による認可)を得た栄西上人が、日本初の禅寺を建立して開宗した禅宗の一派(栄西は、日本の茶祖としても知られる)。
 栄西は1141年に生まれ、11歳の時に出家し、天台宗寺門派に学び、14歳で比叡山に入山します。天台密教を学びますが、叡山での山門派と寺門派の対立に失望して下山、1168年に入宋します。この頃の中国は天台教学が衰えていて、禅宗が流行していて、志半ばで帰国。1187年、釈迦の生国インドへを目指して宋へ渡りますが、政情不安からインドへは渡れませんでした。紆余曲折の末、再度天台山に入山して、臨済宗黄竜派の印可を受ける事となります。1192年に帰国した栄西は、九州を中心に禅宗を広め、博多で日本最初の禅寺聖福寺を開きます。京都では伝統仏教の反対に遭い、鎌倉に居を構えて北条政子や将軍。頼家家の帰依を受け、その地で寿福寺を開いて臨済宗の基盤を確立しました。1202年、頼家が京都に建立した建仁寺開山となり、念願の京都での足場を築きます。
 栄西が75歳で没した後、臨済宗は多くの逸材を輩出しました。今日の臨済宗の基礎を確立したのは、江戸時代の白隠慧鶴で、彼によって臨済宗の民衆化が果たされました。現在の臨済宗諸派(14派)も、すべて白隠の法系で占められています。
 臨済宗の教えとは、衆生本来仏であることを信じて座禅に励み、自己に目覚め、生活を正し、生かされている事に感謝して、利他行に徹する事です。また、修行に欠かせない課題と労働(※公案と作務)が重んじられます。本尊は、釈迦牟尼仏。経典は、「般若心経」や「観音経」等(経の文字によらない教外別伝・不立文字の伝統により経典不定)。

曹洞宗

 鎌倉時代に、道元禅師によって開宗されました。道元は1200年に生まれ、3歳の時に父を失い、8歳の時に母と死別すると言う悲運に遭い、13歳の時比叡山に入って出家。翌年、天台座主・公円に師事して、仏法房道元の法名を与えられました。しかし、道元は仏法について疑問を抱き叡山を下り、三井寺で学んだ後、更に建仁寺で臨済宗の禅の修業に励みました。1223年、24歳の時に中国へ渡り、諸山を遍歴して修行を重ねました。それでも疑問は解けなかったのですが、天童山の新住職の如浄禅師と出会い、真実の師に巡り合ったと悟り、如浄の法統を継ぎ28歳の時帰国しました。帰国後、道元は宇治に興聖寺を建て、曹洞宗を伝えると共に「正法眼蔵」等を説きます。しかし、伝統仏教からの圧迫もあって、1243年、越前に移り住み、大仏寺(現大本山・永平寺)を建立して弟子を育成し、終生この地を拠点にして禅の修業に励みました。1253年9月、54歳の時、京都で療養中亡くなりました。
 曹洞宗の教えは、各自が備えている仏心に基づき、座禅の姿と心で日常生活を整え(※即心是仏)、その心を保つため、ただひたすら座禅します(※只管打坐)。よって、信徒は家庭での座禅についても、作法に従い行う事を教えています。本尊は釈尊(※お釈迦様)なので、礼拝時は「南無釈迦牟尼仏」と唱えます。経典は、「修証義(道元著の正法眼蔵の中から大意を示した曹洞宗の根本聖典)」、「般若心経」、「観音経・如来寿量品(法華経)」等。曹洞宗の信徒の家では、「一仏両祖のお絵像」と言う掛け軸を祀る定めがあります。

日蓮宗(法華宗)

 日蓮上人を宗祖とし、法華経を所依の経典とする伝統仏教集団。日蓮は1222年に生まれ、12歳の時に郷里(※千葉県安房小湊)の清澄山の清澄寺に入山、16歳で出家しました。19歳の時、虚空蔵菩薩への祈願の満願の日に霊夢が機縁となり勉学の目標が定まり、山を下りて鎌倉の光明寺に学びます。その後、比叡山、奈良の諸大寺、高野山で各宗の宗義を究め、「法華経」こそ諸経の王、釈尊の正意に適う経典であるとの信念を確立します。1253年、32歳で故郷の清澄寺に帰山した日蓮は、朝日に向かって題目を十回唱えて立教の宣言を行います。この日が、日蓮宗の開宗の日とされています。
 その後、日蓮は法華経の広宣流布を通して、仏教界の各宗批判、為政者には諫言を行いますが、そのため数々の迫害に遭います。配流等様々の憂き目に遭いますが、1274年に赦免となった日蓮は、鎌倉で幕府に対する三度目の諫言を行い、後に身延山に移って草庵を建て、弟子の育成と著述の日々を送りました。1282年、療養のため常陸国に向かう途中、61歳の時に生涯を閉じました。日蓮宗には多くの流派・分派がありますが、これは日蓮が6人の弟子に後事を託した事に端を発していて、高弟を中心にして布教が展開され、各門流(各派)が形成されました。現在の主な流派は、日蓮宗・日蓮正宗・顕本法華宗・法華宗(本門流・陣門流・真門流)・本門仏立宗・本門法華宗など。。
 本尊は、久遠実成本師釈迦牟尼仏(表現形態は大曼荼羅など)。経典は、「法華経三部経」


その他、仏教系新興宗教

・創価学会(そうかがっかい)
 初代会長の牧口常三郎が、創立した「創価教育学会」に端を発する日本最大の在家仏教教団。牧口は、元々日蓮正宗の信者だったが、創価教育学会を発会。牧口と共に特高警察の弾圧を受けて獄中生活を送った戸田城聖は、拘置所で他界した牧口の後を受けて「創価学会」と改称して再建に着手(後に二代目会長となる)。その後、創価学会は、地方選挙・参議院選挙にも挑んで議席を獲得し、会員数も百万世帯を突破。その後、三代目会長として池田大作が就任。池田は、"三百万世帯達成"と"大石寺(日蓮正)大客殿寄進"、"邪宗徹底撲滅"(キリスト教も撲滅キャンペーン対称の一宗教として、現実に徹底的な攻撃対象となっていました…個人的に僕も数多く"経験"済み…涙)の三つの進路提示をしました。座談会を主な法戦場として、教えを流布しています。
 しかし、創価学会の言論抑圧事件が契機となり、公明党と創価学会が表向きには分離されます。創価学会の組織は拡大しましたが、日蓮正宗の創価学会批判により、池田大作は会長職を辞し名誉会長となります。その後、4代目会長・北条浩、5代目会長・秋谷栄之助が就任しています。創価学会は、元々日蓮正宗を奉ずる団体でしたが、現在日蓮正宗とは各種係争中です。また週刊誌メディア等に対する批判キャンペーンも継続的に行っています。


・霊友会(れいゆうかい)
 昭和5年に理事長・久保角太郎と会長・小谷喜美によって創立された、法華経による先祖の供養を実践する在家仏教教団。この霊友会から、多数の教団が独立していきます。過去に、「インナートリップ」等のキャンペーンを展開。


・立正佼成会(りっしょうこうせいかい)
 昭和13年に開祖・庭野日敬と脇祖・長沼妙佼によって創立された、「法華経」を所依の経典とする在家仏教教団。庭野も長沼も元々は霊友会信者でしたが、脱会して立正佼成会を設立しました。「法華経にとかれた万人成就」の道を説いています。

・孝道教団(こうどうきょうだん)
 総理・岡野正道が霊友会を退会して、妻の貴美子と共に昭和11年に設立した在家仏教教団。当然経典は「法華三部経」。本尊は、熟益開顕正法大曼荼羅。


・念法真教(ねんぽうしんきょう)
 燈主・小倉霊現が、大正14年に阿弥陀仏の霊告を受けて立教開宗した仏教系教団。阿弥陀仏の救済力を、世界人類に及ぼし、地上を万人和楽の浄土となす事を教えとします。本尊は、天之中主大神・久遠実成阿弥陀如来。経典は、「妙法蓮華経」「浄土三部経」。


・解脱会(げだつかい)
 修験道の修行を通して、創始者・岡野聖憲によって創立された真言宗系新宗教。昭和4年に立教、当初は「真言宗修験道解脱教会」でしたが、何度か名称を変更して現在の名称となりました。在家宗教を本旨とし、各家の先祖を中心にして神仏を崇敬する念を養成し、人間道の大本である感謝と報恩の道を説いています。祭神は、五智如来、天神地祗、解脱金剛。教典は、「般若心経」。


・妙智会教団(みょうちかい)
 この教団は、霊友会から独立。創始者(会主さま)は、宮本ミツ。昭和9年に夫婦連れ立って霊友会に入会。霊友会幹部として励んだが、昭和25年に独立。以後、原始仏塔の建立、久遠仏塔の建立等を行っている。妙智会の教えの根本は、法華経による先祖供養の実践にあります。その生活規範として、仏・国土・一切衆生、父母への感謝、家庭円満、人類の幸福、社会の教化が説かれています。主要経典は「法華三部経」。


・仏所護念会教団(ぶっしょごねんかいきょうだん)
 関口嘉一と妻トミノが、やはり霊友会から独立した教団。昭和8年に霊友会に入会しましたが、昭和25年の霊友会教団本部の脱税事件を契機に、退会を決意。昭和25年に、独立して仏所護念会教団を設立。法華経と、先祖供養を中心とする信仰実践を推進している。


・真如苑(しんにょえん)
 昭和11年に創立され、リンチ事件の裁判等の紆余曲折を得て、昭和27年に入って現在の「真如苑」として新発足した真言宗系の新宗教。「真如(仏の本体)」によってすべての人(苑)に救いを差し伸べると言う意味の名称です。開創者は、教主・伊藤真乗。真如苑の教えは、「大般涅槃経」、教主の習得した「伝統の法」、そして「真如霊能」と言う3大主柱を基盤にしています。


・妙道会教団(みょうどうかいきょうだん)
 聖師・佐原忠次郎と妻・俊江が、霊友会の脱税事件を契機に、昭和26年、霊友会から分派独立した教団。妙道会の教えは、「三大請願」に説示されています。「法華経に帰依」し「日夜先祖を供養」し「大法を宣布し思想を善導」し奉る事の三つです。同時に制定された「家庭実践要訓」には、生活の実践徳目が示されています。


・大慧会教団(だいえいかいきょうだん)
 創立者・石倉保助と妻・マツエが、霊友会の脱税事件を契機に、昭和25年、霊友会から分派して設立した在家仏教教団。本尊は、久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊。経典は「法華三部経」。


・日本山妙法寺大僧伽(みょうほうじだいさんが)
 藤井日達師が設立した、日本でも稀な「出家者を中心とする」日蓮系の新宗教。教えの要旨は、日蓮上人を高祖とし、日達上人を開山として、世界に何無妙法蓮華経を広宣流布することです。


・思親会(ししんかい)
 開祖・井戸清行が、霊友会から分かれて発足した在家仏教教団。久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊を本仏とし、思親清行大士尊定の十界互具大曼荼羅を本尊としています。法華三部経の哲理に準拠した生活を送ることを旨とします。思親会の名の通り「親孝行と先祖供養を教え」を教えの柱とします。また家庭から社会へ親しき思いを送る事を柱として、究極の寂土建設を目標にしています。


・大乗教(だいじょうきょう)
 教祖の杉山辰子(すぎやまたこ/故人)が、法華経信仰による衆生救済を志して設立した教団。昭和58年には、インドのブッダガヤに釈迦堂を建立。本尊・一尊四菩薩の久遠本仏/経典・法華三部経。


・阿含宗(あごんしゅう)
 管長の桐山靖雄(きりやませいゆう)によって、昭和54年に京都東山で開宗された仏教教団。人間の不幸の原因は、自己の悪因縁と先祖にまつわる霊障にあると断じ、阿含密教の実践で霊障の除去を説く。本尊・真正仏舎利。



 と、日本の主な仏教宗派について見てきたが、正直なところ数が多くて聞いた事もない教団も多数あるのに驚いた。

★本章のポイント整理

・日本には、新興系の教団も含めて仏教教団が非常に多い。インドの初期原始仏教をベースとした仏教は稀で、多くは時代と中国を経由する過程で変遷・変容を受けた仏教の形態を有する。故に、原始仏教には見られなかった如来や阿弥陀仏等をご本尊として祭ったりする仏教が多く、また「法華経」や「般若心経」等の経典をベースにした仏教が多いのも特徴。
・日本の伝統的な仏教は、主に出家僧侶を中心とするが、新興系の仏教は主に在家信者を中心とする傾向にある。

(2005年 9月 4日記載)

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