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JOLLYBOYの脳内討論 05 教育について考える
(2011年9月18日記載)
司会クラシテル:「脳内討論の第5回、司会の荒川クラシテルです。さて、今回のテーマは"教育について"です」。
脳の右側の人:「ああ、今回は司会者の交代は無しですね!で、僕が討論の口火を切りたいとは思うのですが、一口に"教育"と言っても、乳幼児教育に義務教育から高等教育、そして社内教育や生涯教育などなど、ずいぶんとカバー範囲が広いですけれど、どこに的を絞って討論を進めれば良いのでしょうか?」
クラシテル:「ぜ~んぶ、皆さんにお任せします」。
(…一同、唖然)
クラシテル:「はい、手を挙げている左のあなた、どうぞ」。
脳の左側の人「あまりに幅広くてどこから突っ込んで良いか分からないので、取りあえず緒(いとぐち)として自由に発言させていただきますよ。"教育"と言うのは、言葉的な意味合いで言えば"教えさせ・覚えさせ・しつける"と言うような意味を含んでいます。つまり、何かの事柄を"教える立場の人"と"教わる立場の人"がそれぞれ存在して、"教え、教わる"ことで教育は成立します。まあ、いわゆる教師と生徒ですね…。教師がある事柄について"教えるべき内容"を持っているのであれば、原則的には教師の性別とか年齢とかは関係ありません。生徒も同様で、子供でも老人でも生徒足りえます」。
脳の右側の人「相変わらず分かりにくい表現をするね、君は!まあ、経験や学問的知識の多い大人の方が、たいていは"教師"の側だよね。多くの子供が最初に「せんせい」に出会うのが、お稽古や保育園や幼稚園…かな?プレスクールについては、家庭環境によってまちまちなので、取りあえず義務教育の入り口である"小学校"あたりから話しを始めない?」。
クラシテル:「それでは、真ん中の君」。
脳の前方真ん中の人:「学校教育は、知識重視の"詰め込み教育"への批判から経験重視の"ゆとり教育"へ移って、こんどはそれへの批判から"脱ゆとり教育"へ移ったよね。こんなにフラフラした教育政策で大丈夫か…って思うけれど、現実的にそうなっちゃった。僕自身は、良い意味での"詰め込み"は悪くないと思うよ。だって、小さい頃にいわゆる"読み・書き・算盤"的な事をきちんとしておかないと、大きくなってから同じ事を学ぶのでは何倍も苦労するよ?ある程度の学問の基礎は、子供の頃にしっかりやっておくべきだと思う。でも、一方で偏差値重視の受験制度はどうかとも思う。学力の点数だけが、その人間の評価ではないでしょ?みんなはどう思う?」
(クラシテルが左の人を指す):
脳の左側の人:「学力の偏差値は、もともとは生徒の平等な評価のためにあるんだよ。例えば、担任の先生の主観で、ある生徒が"良い"と評価され、ある生徒は"駄目"と評価されるとする…そんなの客観的な評価じゃないし、先生によって評価が変わるなんて不公平だよね…でもテストの点数なら全国どこでも皆平等に評価される…だから学力偏差値が重視されるんじゃないかな?
でも、何事もバランスだよね…人の能力は学力だけじゃないでしょ?過去の多くの受験戦争では…スポーツ特待生で進学したり芸術学校に入るのでもなければ…、優れた運動能力も芸術的な才能も対人関係に優れた才能も豊かな経験も、一般的にはほとんど考慮されない。何よりも、マニュアル的に知識を詰め込んだ学力だけで人の価値判断がされるのは、大きな危険をはらんでいる。官僚システムのように、若い時だけの学力テストだけで、その後の年収やら待遇やらのコースが一生決まってしまうなんて悪例。その人の公務員の資質とか、その後その人が国のために役に立っているか、そのための努力を惜しんでいないか…なんて関係ないなんて、どう考えてもおかしい。全く国のためになっていない。
ゆとり教育って、そう言う"学力偏差値重視""詰め込み"一辺倒じゃなくて、"自分自身で考える教育"、"経験で学んでいく教育""…言い換えれば"自分で道を切り拓き見い出す力"も模索していたと思うんだけど…学力は下がっていないと言う意見もある一方で、世間一般はゆとり教育で学力が下がったと思っている。北欧の小さなフィンランドとかの方が、日本よりずっと総合的な学力が上がっている。フィンランドは自分で考えるスタイルで、ゆとり教育に近いよね?でも、それが日本じゃ上手くいかなかった…少なくとも、世間ではそう思われている。大人の作った政策に、子供たちは振り回されっぱなし!」
クラシテル:「真ん中の君、どうぞ」。
脳の前方真ん中の人:「日本で上手くいかない原因は一つじゃなくて、色んな要因があると思う。今の日本の塾のシステムもかなり異常だし…夕方まで学校で勉強して、更に真夜中まで塾で学ぶ。親達にゆとり教育の不安を煽って、塾は急速に伸びた。はっきり言うけど、小学生が一日そんなに勉強に集中できる訳ないんだよ。絶対におかしいんです。
"塾に行かないと学力が遅れてしまう"と言う親の危機感による焦り、"みんなが塾に行ってしまうので、塾に行かないと友達ができない"と言う異様な子どもの現実社会、こんなのが背景にあるけれど、本来、義務教育の勉強は学校と宿題で十分なんだ。残りの時間は、子供は"体を使って"遊ばなきゃいけない。この"身体性の遊び"を忘れるとどんどん頭でっかちの大人が増え続けていき、最終的に"他人の痛みの分からない"かつ"頭だけで判断する"冷たく無機質な人間の社会になってしまうと思うよ。
そもそも、必要にして十分な勉強も教えられない、友達も作れない…そんな学校や教師は、その根本的な存在理由が間違っているとしか言えないな。事実、これだけ子供達が塾に通っているのに、世界的な学力の比較では上位にならないし、それに対して子供の孤独感は世界でも上位で幸福感は下位と言う異常さ。逆に、僕らの子供の頃は塾に行っている子なんてクラスに数人しかいなかったけれど、学力は決して低くはなかった。放課後は、野球や缶けりや馬跳びで遊んでいたのにだよ?遊びや友人関係の中で、無駄と思える経験から色んな事を学んでいた。良く学び、よく遊べ。その方が、脳にも体にもずっと良いと思う」。
(クラシテルが右の人を指す)。
脳の右側の人:「ちょっと、待って。学力の低下を、学校のせいだけにするのは問題が多いな…。僕は大反対だ。教育やしつけをする主体は、まず親だと思う。そこをはき違えちゃいけない。学校の担任の先生は、せいぜい一年か二年の関わり。でも、親は子どもと一生関わって行くんだよ。だから何でもかんでも学校のせいにする親は、ネグレクトとまでは言わないけれど、親としての大事な責任を軽視か放棄していると思う。
学校と言うのは、社会の縮図のようなところだよ…各家庭も含む周辺地域の環境、各時代の政治的背景なんかが露骨に表れる場所だと思う。僕は、"モンスターペアレンツ"と"国家の政策"の二つの問題が、学校やそこで働く教師の大きな負の力になっていると思う。
まずは、モンスターペアレンツの問題。給食費の支払い拒否や、子供を起こすためのモーニングコールとかの例は有名だけど、それ以外にも信じられないような事を押し付けて来たり、クレームを言ってきたりする。最近ではヤクザのような"それはクレームでなくて犯罪です"みたいなことまで起こったりして、学校や教師側の対応もたいへんな苦労が伴っている時代だよね。
一方で、教育委員会からも現場に圧力がかかる。多くの教育委員会は官僚的な組織で、保身の固まり…自らの評価は絶対下げさせない。だから、現場でいじめがあっても、現場からの報告では"無かったこと"になってしまう。そんな種々面倒な状況の中で、教師も表面的な"事なかれ主義"に陥ってしまう。昔の熱血教師ドラマのような先生は、どこを見てもほとんどいない。これが現実。
で、もう一つは政治的な問題。元文化庁長官にして教育審議会会長を務めた三浦朱門氏の発言…ちょっと長いけれど、引用しますよ。
『学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に言うと平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんと言うことです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。…(中略)…国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそう言う先進国になっていかねばなりません。それが"ゆとり教育"の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ』
これ一体何を言っているかが分かりにくいので、要約するとこうなります。
『もう、バカは相手にせず、リーダーになるエリートを育てる事に力を注げば良いのだ、これからの時代は。バカは、バカなりに国に忠義を尽くして、文句を言わずただ黙々と働いておれば良いのだ』
と言うことです。耳を疑うでしょ?でも、これが元官僚の教育審議会会長の台詞なんです。もう、明治初期のような戦中のような時代錯誤の歪んだエリート主義。官僚はもう自分がエリートだと信じて疑わない訳で、"平民"なんかアウト・オブ・眼中な訳です。この考え方だと、ゆとり教育って形の上ではフィンランドの教育方法に似ているけれど、根本が全く違うんだよね
僕個人の考えを言えば、三浦氏の言うアメリカのような社会よりも北欧のような社会の方が良いよ。その優れたリーダーが出てくると言ったアメリカは、今どうなっている?現在のアメリカは、貧富の差が激しくて教育も医療もまともに受けられない家庭もたくさんあるし、人の国に平気でミサイルを撃ち込み爆弾をばら撒く…そんな国だよ。そんな国を目指すの?絶対に嫌だよ。
まあ、この教育政策は前政権の時代の話であり、現政権になってから、家庭環境の差によって教育格差が生じてはいけないと言う方針で、高校無償化の方向へ行ったけれど、財源の問題などからこれも先行きが怪しくなってきている。教育は国の根幹をなす屋台骨だから、僕は家庭が例え貧しくとも望めば大学まで行ける政策が必要だと思うよ。本人の意思までは左右できないけれど、機会は平等でなければならないと思う。
教育がしっかりしていれば、技術も経済も盛り返せるし、税収だって上がる。教育問題は、「財源がない」と言うレベルの話じゃない。ダムや道路や原発などの費用を削ってでも、一に教育、二に教育の国にしなければ、日本は滅ぶよ。他の支出を削ってでも、教育に税金を注ぎ込む!高等教育を、一部エリートの物にしちゃいけない。
僕らは子供時代、色んな子供が一つの教室で交じり合って勉強し、色んな違いを認め、学校生活を過ごした。これからは、同学力の子供だけが集う異様な教室の時代が到来する可能性がある…同質的に育ったエリートを辞任する者たちが、色んな言語や考えを持つ人々で構成される国際社会に出ていく…彼らは、自分と異質な人々の痛みや考えをどこまで理解できるのだろう?…って思う。
話がやや脱線したけれど…えっ、僕、話が長いですか?じゃあ、ここまでにします」。
クラシテル:「はい、左側の君!」
脳の左側の人:「知っているかな?21世紀に入ってから、"教育改革国民会議"の報告を受けて文部科学省がパンフレットを作成して、日本の教育の"危機"を取り上げたんだ。危機の1つには、「いじめや不登校、校内暴力や犯罪、学級崩壊」などを取り上げていて、危機の2つ目には、「個人の尊重を強調し"公"を軽視すること」、危機の3つ目に、「行き過ぎた平等主義」、危機の4つ目に、「現在の教育システム」を取り上げたんだ。
これを要約すると、能力のある子や恵まれた環境の子は、個性・能力を尊重し、早いうちから"学校選択性"や"エリート的な中高一貫校"によって、学校やクラスを選べるようにしなければいけない、と言う事。
もう一つは、公共心・道徳心・愛国心、規範意識・社会性を育成する為に、奉仕活動の義務化、国定教材の配布、教育基本法の改正をする、と言う事。この2本柱なんだ。
この二つの柱には、"新自由主義的イデオロギー"と"国家主義的イデオロギー"の二つの考え方が背景にあるんだよ。一握りのエリートを育成し、一方で一般国民は統制下に置き文句は言わせない。現代は、色んな事柄を「望ましい」→「指導」→「強制」に変えつつあるよ。「起立するのが望ましい」→「起立するよう指導する」→「起立しなければ処罰する」みたいにね。毎日のニュースをよ~く注意して見ててください。色んな事がそうなっていくから!今の日本の教育の方向は、学力が上がるの下がるのいった問題以前に、ある意味たいへん危うい方向に向かっているのかもしれないよ。前回討論した、メディアにおける官僚の情報統制と裏表の問題かもしれない」。
クラシテル:「では、最後に真ん中の君!」
脳の前方真ん中の人:「あの僕は、教育のそう言う面じゃなくて、なんて言うか、もっと身近な事をテーマにして話したかったな。「幼児に長時間テレビを見せても良いのかなぁ?」とか、「思春期の子供が色んな悩みを持っているのだけど、どういう風に聞いてあげようかな~」とか、「どうやって子どもの才能を見つけたり、それを伸ばしてあげたりしたらいいかなぁ~」とか…そんな事。なんか今回の討論、エリート同士の討論みたいで、凄く嫌な感じだったよ、僕。他の話がしたかったけれど、今回は時間がなくなっちゃった…」。
クラシテル:「私的には真ん中の君の気持、すごく分かるわ!ごめんなさいね、テーマを絞りきれなくて。では、また!」
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主な参考・引用文献:小学生の心理(波多野勤子著/光文社)、 14歳の子を持つ親たちへ(内田樹・名越康文対談/新潮新書)、16歳の教科書 なぜ学び、なにを学ぶのか(講談社)、義務教育を問いなおす(藤田英典著/ちくま新書)、 若者はなぜ「決められない」か(長山靖生著/ちくま新書)、悩む力(姜尚中著/集英社新書)、「心の専門家」はいらない(小沢牧子著/洋泉社)、輝ける子(明橋大二著/1万年堂出版)、 発達障害かもしれない(磯部潮著/光文社新書)、胎児はみんな天才だ(ジツコ・スセディック著/祥伝社)、赤ちゃん学を知っていますか?(産経新聞「新・赤ちゃん学」取材班/新潮社)、 おめでたですよ!(監修/杉山レディースクリニック内海靖子/成美堂出版)、育児大百科(たまひよ大百科シリーズ ひよこクラブ特別編集(ベネッセ・ムック)、 0~6才のしつけ百科(菅原ますみ/汐見稔幸監修/主婦の友社)、間違いだらけの0歳教育(ニューズウィーク日本語版/TBSブリタニカ)、幼稚園では遅すぎる(井深大(ソニー創業者)著/サンマーク出版)、 親業(トマス・ゴードン著/近藤千恵訳/大和書房)、アドラー博士の子育て5原則(星一郎著/サンマーク出版)、なぜできる人はできる人を育てられないのか(吉田典生著/日本実業出版社)、 チームリーダーの教科書(藤巻幸夫著/インデックスコミュニケーションズ)、大事なことはみ~んなドラえもんに教わった(久保田正己著/飛鳥新社)、幸福な仕事は「セサミストリート」から始った(ノーマン・スタイルズ著/ALC11月号)、 世界の子どもたちからの手紙(文化放送「パンゲア計画」編/集英社)、ほざくなチビッコ(アート・リンクレター著/山田小枝子訳/文藝春秋)、スヌーピーと仲間たちの心と時代(広淵升彦著/講談社)、 チャーリー・ブラウンなぜなんだい?-ともだちがおもい病気になったとき-(チャールズ・M・シュルツ作/岩崎書店)、五体不満足(乙武洋匡著/講談社)、たったひとつのたからもの(加藤浩美著/文藝春秋)、 なぜ、人を殺してはいけないのですか(ヒュー・ブラウン著/幻冬舎)、いのちの器(日野原重明著/PHP文庫)、スルメを見てイカがわかるか!(養老孟司・茂木健一郎対談/角川1テーマ21)、 脳内革命(春山茂雄著/サンマーク出版)、超右脳革命(七田眞著/三笠書房)、憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本(高橋哲哉、斎藤貴男編・著/日本評論社)、 菊と刀(ルース・ベネディクト著/長谷川松治訳/講談社学術文庫)、武士道(新渡戸稲造著/矢内原忠雄訳/岩波文庫)、尋常小学學修身書(復刻版・旧日本帝国文部省/池田書店)、「新しい歴史教科書」はどこが違うのか!?(別冊宝島)、使ったら危険「つくる会」歴史・公民教科書(明石書店)、他多数