Jollyboyの聖書のお話
(JOLLYBOYの信仰告白)

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聖餐について

 すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言われました。(コリントの信徒への手紙Ⅰ11章23~25節)

聖餐式

 聖書には、聖礼典と呼ばれる儀式が二つあります。イエス・キリストが行うように命じたもので、一つは"洗礼式"、もう一つは今回お話する"聖餐式"です。ダ・ヴィンチの名画"最後の晩餐"でも有名な、あのパンを食べワインを飲む儀式です。映画でも、度々ご覧になったことがあるかもしれません。聖餐式は、一体何を意味しているのでしょうか。

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 聖餐式は、聖書の中でイエス・キリストが命じられています。(上記のコリントの信徒の手紙の他、三つの福音書に記載)。イエス・キリストはユダに裏切られて大祭司の手に渡される前に、弟子たちと晩餐の時を持たれました。イエスはパンを取って感謝の祈りをしてから裂いて、弟子たちに与えました。その時、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。(ルカによる福音書22章19節)」と言われました。パンがイエスの体であるとは、どういう意味でしょうか。これは、イエス・キリストの体が私達の罪のために、十字架に付けられて裂かれることを意味しています。そして、そのことを忘れずに記念として聖餐式を行いなさいと言われているのです。
 そして食事が終わると、ぶどう酒の杯も同じようにして弟子たちに与えました。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。(マタイによる福音書26章27,28節)」。これもイエス・キリストが十字架上で、私達のために血を流されることを示しています。私達の罪の代わりに、十字架に付けられて血を流される…私達の代わりに十字架上でキリストが罪人として裁かれ殺され、私達の罪が赦される…これが神と人との新しい契約…なのです。パンとぶどう酒が私達人間の命を支えるように、十字架につけられたその体と流された血とが、永遠の命のために私たちの魂のまことの食べ物また飲み物となるのです。そのことを記念して行うのが、聖餐式です。
 人びとの罪の身代わりとなって命を捧げたイエス・キリストの犠牲を、絶えることなく記念し、その祝福をキリストを信ずる者たちに保障するために、聖餐式を守るべきものとされたのです。聖餐式にあずかる者は、「だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。(コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章28,29節)」という言葉に、耳を傾けねばなりません。わたし達の罪のために主イエスが死んでくださった、その救いを信仰を持って受け入れること&その恵みへの感謝があって、初めて聖餐の恵みにあずかることができます。「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。(コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章27節)」と、ある通りです。

(2002年 2月19日記載)


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