Jollyboyの聖書のお話
(JOLLYBOYの信仰告白)

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性について

 「しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。夫は妻に、その努めを果たし、同様に妻も夫にその努めを果たしなさい。妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。互いに相手を拒んではいけません」。(コリントの信徒への手紙7章2~5節)

キス

 さて、誰もが思春期に性の問題に悩むことと思う。私の場合は、共学高校なのに2年間男子クラスだったこともあり、クラス内の話は何でも「有り」だった。下世話な話になって申し訳無いが、「オナニー(自慰行為のこと。マスターベーションとも言う)は週に何回するか?日に最高何回できるか?」という、お馬鹿な話も平気でなされていた。ちなみにクラスでオナニーの経験のない男子は1名であることが判明。つまり(男子に限って言えば)10割近い確率で、思春期にそういう経験をしているのである。しかし人によっては、こういうお馬鹿な話しができる友人や、まじめに相談できる家族がいなくてけっこう悶々と悩んでいる子もいるかもしれない。なかなか人に聞くに聞けないこの話しを、聖書に聞いてみよう!

*   *   *   *

 さて、いきなりですが、オナニーの語源は聖書にあります。創世記に、オナンという男が登場します。オナンの兄エルはタマルという女性と結婚しますが、兄のエルは死んでしまいます。そこで当時の習慣にしたがって、弟のオナンがそのお嫁さんの子孫を残さねばなりません。しかし、オナンは子供が自分のものにならないと知っていたので、オナンはタマルと寝る度に精子を地に流し、兄に子孫を与えないようにしました。彼のしたことは、神の意に反することであったので、彼も殺されました(創世記38章6~10節)。これが、自分だけが快楽を得る"自慰行為=オナニー"の語源です。これだけ読むと、まるで自慰行為が死刑にでも値する行為のように聞こえますが、そうではありません。主が怒られているのは、彼が本来の「兄の子孫を残す」という目的を果たそうとせず、自分の欲求だけを満たすため性行為をしている点です。自慰行為そのものについて言えば、聖書は良いとも悪いとも言っていませんが、人目につかない所で隠れて行う行為なので、思春期の少年達は罪意識を持ってしまいがちです。聖書の律法に照らせば、人を傷付けたり人から盗んだりする行為ではないので、必要以上に罪悪感を持つ必要はないでしょう。

 しかしながら、聖書の教える性の本来の目的は、「子孫を残すこと」と「妻と夫がお互いに悦ぶこと」の2点です。そういった点から考え、やはり異性と巡り合い結婚することを求め願うべきでしょう。

 では、性風俗業についてはどうでしょう。聖書は「あなたの娘に遊女のすることをさせて汚してはならない。あなたの土地をそれによって汚し、恥ずべきことで満たしてはならない。」(レビ記19章29節)、と戒め、禁じています。また、「娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。『二人は一体となる』と言われています。」(コリントⅠ 6章16節)とも書かれ、その一時の快楽のために成した性行為の意味の重さを示し、娼婦とまったく同じ罪を犯しているのだと言っています。

 不倫についてはどうでしょう。旧約聖書では、「男が人妻と寝ているところを見つけられたならば、女と寝た男もその女も共に殺して、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない。」(申命記22章22節)と厳しく戒めています。そこまで、夫婦の関係は尊いものとされているのです。
 つまり男女間の性行為は、結婚した夫婦間の間でなされるものとして神が与えられたものなのです。

(1999年 3月28日記載)


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