Jollyboyの聖書のお話
(JOLLYBOYの信仰告白)

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終末と世紀末について

「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。」(マルコによる福音書13章7節)

燃える地球

 結論から言うと「終末」と「世紀末」は何の関係もありません。世間でノストラダムスの話題が多いので、はっきりと結論を示したいので、あえてこのタイトルにしました(余談ですが、おそらくノストラダムスを口にするほとんどの人が、「諸世紀」原典を読んだことすらないでしょう)。

 さてどの時代であれ、必ずといってよいほど、「世界が破滅する」と言う愚かな人たちが登場します。特に、大きな戦争や天災などが起きる時代や世紀末では増えます。こんな実話があります。1843年4月3日にニューイングランド(合衆国・北東部)のとある丘に、数千人の人々が集まり、世の終わりを待っていました。ウィリアム・ミラーという農夫が、(勝手に聖書を解釈し)1831年に「終末の到来」を警告したのです。たまたま1833年に流星、1843年に大彗星、太陽の光輪現象が起きたりして、彼の演説は真にせまって聞こえました。彼を信ずる者の中には、家族を殺し自殺をするものもいたそうです。しかしその日、世の終わりは来ませんでした。ミラーは、世の終わりは1844年3月22日だと訂正しましたが、その日になっても世の終わりは来ません。改めて、アルマゲドンは10月22日としましたが、やはり世界は破滅しません。さすがに、彼は信用されなくなりました。最近では、韓国の教会でも同じようなニュースがあったばかりなので、記憶にある方も多いと思います。

 「心理的不安」(戦争、天災等)「二度聞き効果」(複数の人から聞く)「話の迫真味」(真実味のある事件の発生)などが重なって、デマと言うのは一気に広がります。ミラーの予言は、これらの要素を満たしていました。ノストラダムスの予言もそうです。「長引く不況の不安」「マスコミ・周囲から、何度も聞かされる予言」「過去に当ったという実しやかなる説」など、デマの広がる要因を兼ね備えているのです。

 さて私たちは、聖書に聞きましょう。

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 「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである」(マルコによる福音書13章7,8節)と、イエス・キリストは言います。また「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現われ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう」(同13章5,6節)とも言っています。戦争や天災が起こったり、偽預言者が現れても、「惑わされないように」と聖書は警告しています。

 聖書は、まずそういう警告を皆の肝に命じてから、「終末(世の終わり)は必ず来るよ」と述べています。それらの日には、「神が天地を創られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来る。(中略)それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。」(同13章19~25節)ほどのことが起こると言います。そして、その時に「人の子(注:キリストのこと)が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」(同13章26節)と言います。「終末」は訪れ、その日にはイエス・キリストが「栄光」の状態で再び世に来るのです。

 何の為にイエスは来られるのでしょうか?「それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を裁く日をお決めになったからです」(使徒言行録17章31節)とあるように、「世を裁く」ためです。そして「裁きを行う権能を子にお与えなった」(ヨハネによる福音書5章31節)とあるように、神はキリストに裁く権能を授けたのです。「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体をすみかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならない」(コリントの信徒への手紙Ⅱ5章10節)のです。正しい者は「新しいエルサレム」で神と共にいるという報酬を受け、人を殺す者・忌まわしい者・偶像を拝む者らは「火と硫黄の燃える池」に投げ込まれる-と言います(ヨハネの黙示録20,21章)。

 さて、神が「この世を裁く日をお決めになった」(使徒言行録17章31節)のですが、「この日」とはいつなのでしょう?イエス・キリストは言います。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である」(マタイによる福音書24章36節)と。神の子キリストが知らないのに、どうして人間がその日を知ることができるでしょうか?

 そしてイエス・キリストは言います。「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」(同福音書24章42~44節)。主はいつ来られるか分からないのだから、いつも悪から離れ正しい生活をしなさい、と教えているのです。私たちは、いたずらに「終末の日」がいつかなどとくだらない詮索をするより、日々神に従って「一日一日」を一生懸命生きていくべきだと聖書は教えてくれているのです。

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 「たいへんな災いが起こる」と言って、自分たちで毒ガスを撒く狂信者集団の出てくる時代です。デマに惑わされて、浮き足だたないようにしましょう。

(1999年 1月16日記載)


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