Jollyboyの聖書のお話
(JOLLYBOYの信仰告白)

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職業の選択ついて


 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。(ルカによる福音書3章12~14節)

ブルーワーカー

 人が、具体的に仕事(職種)を決定するのに、何か基準はあるのでしょうか?まず、「自分のやりたいこと」「自分の能力にあったもの」というのが、仕事を決定する最大の要因でしょう。「一度きりの人生を悔いなく生きる」。それが当然ベストな選択でしょう。しかし現実には、すべての人が「やりたい職業」に就ける分けではない。夢を持って狭き門の職種を目指す人には、尚のこと大きな試練が待ち受けているでしょう。正しい努力が報われるとは限らない。例えば、(わかりやすい例として)アイドルを目指すタレントは無数にいますが、現実に陽の目を見るのは少数です。人に言えないような死ぬほどの努力を重ねていても、売れるとは限らない。その一方で、ポッと出の新人が売れてしまったりするのです。

 実際、今の世の中では(特に大不況の今)「なりたい者」ではなく「なれる者」を目指す傾向が高いようです。時には、人目(親族や友人)を気にして「劣等感」に陥りながら働く人もいるのです(大学時代の友人達から、その手の話は数多く聞かされた)。その人にとって、その仕事は「なりたいもの」どころか「なりたくなかったもの」「人に知られたくないもの」なのです(一流の大学を出て、就職にあまり苦労を経験しないですんだ方々は、「だったらそんな仕事やめればいいじゃないか」と言われるかもしれないが、世の中そんなに要領のいい人ばかりではないのです)。聖書は、「仕事(職種)」についてどう語っているのでしょう。

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 聖書には、「あの仕事に就きなさい」とか「あの仕事はいい仕事だ」というようなことは当然書いてありません。しかし、聖書には様々な職業が登場します。羊飼いに、律法学者、天幕職人、官僚、兵隊に徴税人などetc.。中でもよく対比されるのが、律法学者と徴税人です。ローマ帝国統治下のイスラエル、イエス・キリストの生きた時代は、律法学者と言われる人々が「先生、先生」と呼ばれ、宴会では上座へ通される存在でした。一方、徴税人は「ローマ帝国の手先、犬。不正に多く取り立てて私腹を肥やす者」として、一般民衆から嫌われていました。洗礼者ヨハネが、荒野で皆に洗礼を授けている時、徴税人や兵士たちもやってきました。徴税人がヨハネに「私たちはどうすればよいか」と尋ねると、「徴税人など辞めてしまえ!」とは言わず「規定以上のものは取り立てるな」と言っただけでした。やはりローマの手先で権力を背景に不正を働く者として嫌われていた兵士にも、ヨハネは「兵士など辞めてしまえ!」とは言わず、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言っただけです。

 イエス・キリストもやはりそうでした。イスラエルの民衆が敵対視しているローマの兵隊の、しかも百人隊長のその信仰に対し「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と賞賛しました(これは当時のイスラエル社会では、革新的な発言です。第二次大戦中の日本で「アメリカ万歳」など言ったらどんな目に会うでしょう?)。またイエスは、人々から「罪深い」徴税人として嫌われていたザアカイという人のところへ自ら泊まり(当然、人々は驚きました)、彼の心からの改心を喜んだのです。その一方で、人々からの尊敬を受けている「律法学者」たちを度々厳しく糾弾しました。彼らの、欺瞞や高慢さを見抜かれていたのです。イエスは、彼らに「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。」とさえ、言われています。イエス・キリストは、人の評判や職業によってその人を判断したり、嫌われたりは決してなさらなかったのです。人の心の内側をご覧になられていたのです。

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 その人にとって何の職業が良いのかの判断基準は、決して人との比較や世間での評判によるのではありません(もちろん、盗みとか、殺人とか、姦通とかを行う職業は問題外です)。何の職業であるにせよ、その職務に忠実に使えているか、不正をしていないか-そういったことが、仕事をする上で非常に大切なのです。権力をベースに平気で不正を行い、周囲から「先生」と呼ばれる政治家、民衆の税金で私腹を肥やす「公僕の仮面を被った」官僚らは、正に「白く塗った壁」ではないでしょうか。

(1998年 9月23日記載)


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