Jollyboyの聖書のお話
(JOLLYBOYの信仰告白)

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働くということについて

 「御主人様、5タラントンお預けになりましたが、ご覧ください。ほかに5タラントンもうけました。」主人は言った。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。(マタイによる福音書25章20,21節)

ベンチの男

 就職は、人生の一大転機。多くの日本人にとって、「就職=就社」であり、多くの学生が時代の花形産業の狭き門に殺到する(私の時代は銀行だった。)。偏差値の高い学校に入り、一流企業へ入ることが幸せになる道だと多くの人が信じてきた。そういう暗黙のマニュアルに従い、レールに乗ってきたのである。しかし、それでは本当の幸せが得られないことに、多くの人々が気づき始めている。政治、官僚、企業を問わず、矛盾がいっぺんに吹き出ている。では聖書は、この「働く」ということをどう語っているのだろう。

 神が人を創造された時、「この世界を治めるよう」に言われた。人は、生き物たちに名前を付け、園の木の実を自由に食べた。食べ物は働きに対する対価ではなかった。そして、遊ぶことと働くことは同義語であった。そこには、神に仕える喜びと自由があった。しかし、人が神との約束を破り罪を犯したため、園から追い出され、人は苦しんで一生懸命働いて、日々の食べ物を得ねばならなくなったのである。働くということは、「仕事」(天賦に仕える働き)から「労働」(生きるための対価を得るための働き)に変わった。「神と共にいた自由」の状態から「罪の下の奴隷」の状態への変化とも言えよう。

 しかし、イエス・キリストは、次のようなたとえ話をされた。…ある人が、3人の僕(しもべ)に5千万円、2千万円、1千万円を預けた。5千万円を預かった僕は、それを使ってもう5千万円もうけた。2千万円預かった僕も、もう2千万円もうけた。主人は同じようにこの2人をほめて、更により多くの財産を管理させた。ところが1千万円預かった僕は、それを地に埋めたままにした。主人は彼を「悪い僕」と呼び、その1千万円も取り上げてしまった(実際には、お金の単位はタラントンで、これは英語では"タラント"(才能)を指す)※。

 神は一人一人に才能を与え、それを活かすよう求めている。与えられる才能は違う-ある人には高い運動能力かもしれない、ある人には明晰な頭脳かもしれない、ある人には豊かな音楽の才能かもしれない、-それらを各自が発見し、用いることが求められている。他人と比較して判断するのでなく、その人自身がどうそれを用いるかかだ。さて、私達は企業名にこだわったり世間体を気にするあまり、自分のタラントンを地中に埋めたままにしてはいないだろうか?

(1998年 6月21日記載)


※注:タラントンの元来の意味は、純粋に貨幣価値で、金の重さを指す。聖書の本個所では、各自に与えられた「神の救い」の重さをタラントンで比喩している。1タラントンは決して少ない額でなく、現代の価値で数千万円の価値に換算できる。5タラントンは、数億円の価値。

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