Jollyboyの聖書のお話
(JOLLYBOYの信仰告白)

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罪について

 ではどうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシャ人も皆、罪の下にあるのです。次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ローマの信徒への手紙3章9~12節)

禿鷹の影の男

 「あんた、罪人(つみびと)だ。」と、いきなり誰かに言われたら腹がたつだろう。「そりゃあ、まるっきりの善人でもないが、泥棒や人殺しなどの犯罪とは無縁だ。そういう事は、陰で悪いことをしている政治家や官僚、企業のずる賢い経営者達に言ってくれ。」というのが正直なところであろう。しかし、聖書はすべての人が例外なく罪の下にいると宣言している。「ちょっと、待ってくれ。だからキリスト教は嫌なんだ。偉そうに、何様のつもりだ。こっちは、毎日まじめにこつこつと働いているんだ。罪人?ふざけるな!」そうですね。では、聖書のいう罪って何なんでしょうね。聖書は、実際に殺人を犯していなくとも心の中で「あいつが憎たらしい」と思ったらそれは罪だと言います。実際に盗んでいなくとも「あいつのもってるあれが欲しい」と欲望の目で見ること、それを罪だと言います。ヨハネによる福音書には、次のような話があります。イエス・キリストのところに、律法学者たちが姦通の罪を犯した女を連れてきます。彼らの法律では、そういう罪を犯したら石打ちによる死刑だと決まっています。イエスは言います。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」すると、どうでしょう。年長者から立ち去り始め、ついに誰もいなくなってしまったのです。年を重ねた者であればあるほど、自分の人生での罪深さを深く実感しているのです。あなたは、どうですか。

 罪の根元は、創世記まで遡ります。神に創られた最初の人(アダムとエバ)が、神からの契約を受けます(人間から神に与えられる物は何もない。よって神からの一方的な恵みの契約である)。園のどの木からも取って食べて良い、しかし善悪の知識の木からは食べるなと(その木に特別な魔力などありはしない、本質的に他の木と変わりはないのです。神が契約で指定された木だから特別なのです)。契約を守れば人は園でずっと恵みの内に平安に生きられ、契約を破れば死に至る。しかし人は蛇(サタン)にそそのかされ、禁断の木の実を食べてしまう。こうして人は神との契約を破り、園から追い出されてしまう。本来人間は自然を見て、例えば星や海や山を見て、神の創造の素晴らしさや偉大な神の存在を素直に受け入れられた。しかしそれ以後人の心は曇り、自然を見ても正しく神を認識できない。太陽や山や単なる岩や火を神そのものとしてしまうようになり、たくさんの偶像(人が造った神々)を作り出していきます。人は神を正しく把握することも、神を正しく愛することもできなくなってしまったのです。

 最初の人アダムは人類の代表で、そのテストに失敗しました。「おいおい、何を言ってるんだ。私は、アダムを代表に任命した覚えはないぞ。」そうですね、ついでに私達は自分の親に生んでくれと頼んだ覚えもないし、自分の意志で生まれてきたわけでもない。でも、親の性質をすべて引き継いで生まれてくるのです。聖書は、罪人としての性質もその例外でないと述べます。罪の悲惨は、すぐに表れました。アダムとエバの息子カインの弟(アベル)殺しという結果をすぐに招きました。そして彼らの子孫は、他の人々を隷属させたり戦争で血を流したりして、町や国を建設していきます。現代の我々の社会と何の変わりもない社会の登場です。 罪の本質とは、神と人とを愛さない自己中心なのです。

(1998年 3月16日記載)


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