美術史とCGの歴史の比較

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5.中世美術から時代の流れを考える (2009年6月14日記載)

 後世の人々は(時には同時代の人々も)、過去の時代(ないし同時代進行中)の美術を一くくりにして名称をつけたがる。ルネッサンス期の人々は、それ以前の時代を否定的な意味をこめて"中世"と呼んだ。暗黒時代のイメージの強いこの"中世"だが、(前回も触れたように)こうした中世史観は今では過去のものとなっている。
 「自分達の美術の方が優れている」と言う認識はどの時代の芸術家にも起り得るようで、"過去の芸術"や逆に"新興の芸術"を否定したりする事が、歴史において多々ある。例えば"ゴシック"と言う言葉は、もともとゲルマン系部族の「ゴート」と言う名前に由来し、ゴート人らの建てた建築物をローマ人の建築から区別するために、ルネッサンスの人々が「野蛮な」と言う意味合いを込めて使った用語である。
 こうした例は他にも数多くあり、"マニエリスム"と言う言葉はマンネリの語源であり創造性を失った芸術への否定的名称であるし、"印象派"と言う名称はジャーナリストが「印象しか残らない」と揶揄した言葉から発した名称である。同様に"フォーヴィスム(野獣派)"も、批評家に付けられた名称である。過去の芸術、新興の芸術を否定ないし見下すと言う態度は、どの時代にもある。前回"美の規準"について考えたが、「美の基準=価値観」は必ずしも一定したものではなく、時代と共に変移していくもののようだ。
 今回は、ルネッサンスの人々が否定的に見た"中世の美術"を概観し、時代の流れつまり流行の移り変わりと言ったものを考えてみたいと思う。前回同様、「西洋美術史/美術出版社」や「神の肖像~キリスト教美術2000年の旅/BBC」他をベースにして見ていき、この1ページに簡略化する。

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 中世の美術は、一般的にキリスト教美術と結び付けられて語られる事が多い。実際、キリスト教美術が、以後1500年以上に渡って東西ヨーロッパの中核を担っていく。ちなみに中世の時代と言うのは、476年の西ローマ帝国の滅亡と共に始まるので、初期キリスト教の美術は中世以前から存在している訳である。

 初期のキリスト教の美術と言うのは、キリスト教の誕生から5世紀後半までを指す。ただし、初期のキリスト教美術の遺品や遺跡は、異教徒などによる弾圧によって数が限られている。313年にコンスタンティヌス帝がミラノでキリスト教を公認するまではそのような弾圧が断続的に続き、貴重な遺跡や工芸品が失われた。
 しかし、ローマ帝国の支配権が弱かった辺境地域では、遺跡や壁画、彫刻、墓碑等が残され発見されている。特にカタコンベ(地下墓所)は、2世紀末から4世紀後半にかけて盛んに作られ、遺跡もそれなりに残っている。キリスト教徒は死後の魂の救済を願って、カタコンベの天井や壁の漆喰に絵を描いた。異教徒の目をごまかすために、異教の美術からもモチーフや構図を借用している。
 キリスト教会の教義や体制が整ってくると、死後の魂の救済を祈るに相応しい聖書物語のテーマが取り上げられるようになる。こうした傾向は天井や壁の絵だけでなく、石棺彫刻なども同様である。

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 キリスト教が国教として公認されると、各地に大規模な教会堂建築が開始される。330年、コンスタンティヌス帝が東ローマ帝国の首都をコンスタンティノポリスに移すと(※東ローマ帝国はビザンティン帝国へ発展していく)、政治や文化の活動は東方中心に移っていく。初期キリスト教美術に、ヘレニズム美術の伝統や古代アジアやササン朝ペルシャ美術の影響が加わって、東方特有のキリスト教美術、所謂
"ビザンティン美術"が開花していく。
 5世紀に入ると、更に教会堂造営に弾みがつき、教会堂の装飾は初期の象徴的・寓意的なものから、次第に斬新的な構成へと移行する。古代ローマの古典的な様式を離れて、華麗かつ多様な装飾モチーフを取り混ぜた、東方的な色彩の強い荘厳な美術を生み出していった。ビザンティン文化の、第一次黄金期である。
 ただし、この時代の教会堂装飾は、東方異民族の略奪そして後世の聖像破壊運動が災いして、東地中海沿岸諸地域では今やほとんど見られない。6世紀にはイコン(キリストや聖母等の描画や彫刻)崇拝が高まっていたが、一方で8世紀の聖像論争で聖像を否定する立場が強くなり、造形美術は一時的な衰退を余儀なくされた。しかしその反動等もあり、イコンはビザンティン美術で大きな発展をしていく。

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 9世紀後半にマケドニア朝が起り、11世紀には帝国の領土が広がり、ビザンティン文化の第二次黄金期迎える。聖像論争で一時的に衰退していた美術は、ヘレニズムの優雅な古典的伝統に立ち帰り、再度目覚しい復興を成し遂げ、宮廷趣味と人文主義的な伝統がミックスした独自の文化を生み出した。
 しかし13世紀前半には、西方キリストキリスト教徒による第4回十字軍の略奪と占領により、美術活動はまた停滞を余儀なくされる。その後のパライオロゴス朝が興ると、再び復興し栄光を取り戻す。写実的かつ繊細、典雅に様式の美術を生み出した。
 ビザンティンの美術は、11世紀半ば以降、西欧の中世美術にも大きな影響を与えた。

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美しきステンドグラスのロボット/廃墟都市地下教会出土 (制作 by JOLLYBOY)

 上記では東ヨーロッパについて述べたが、一方で西ローマ帝国が滅亡してから、(ローマ属州のガリアにブルグンド王国が起こった後)フランク族が5世紀後半にフランク王国の統一を成し遂げた。フランク族長のクロヴィスは、カトリックへ改修し、ラテン語を公用化し、ローマ帝国の後継者としてメロヴィング朝を起こした。メロヴィング朝の絢爛豪華な工芸品は、ゲルマン民族特有の装飾とガリア土着の伝統がミックスされている。
 800年にフランク王(カロリング朝)のカルロス大帝が教皇レオⅢ世からローマ皇帝の冠を授けられ、ビザンティン帝国に対抗し得る一大帝国が西ヨーロッパに出現した。大帝と後継者達は、各地から優れた学者を招き、宮廷学校を開き、古典の収集にも力を注いで、学問や芸術を奨励した。同時に、教会や修道院を各地に建立した。この時代、ケルト=ゲルマンの伝統、東方のキリスト教文化、古代ローマの古典の3つがミックスした折衷文化が出来上がった。
 カルロス大帝の死後、帝国は北方や東方蛮族の侵攻によって混乱。その後、962年に神聖ローマ帝国が成立して、ドイツが西欧文化の牽引役となる。

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 11世紀後半から12世紀にかけて、
"ロマネスク"(ローマ風と言う意味)と呼ばれる時代が到来した(※ローマ風と言っても、古代ローマ美術の復興と言うよりは独自に築いたキリスト教美術である)。この時代は、大きな社会的変化があった。聖地やスペインへの十字軍の派遣、聖地への巡礼、安定した農村生活を支えとする修道院の復興、物資の輸送や建築工法の技術革新などで、美術もそう言った変動とは無縁ではいられなかった。
 ロマネスクの時代は、修道院が学問や美術の中心だった。紀元千年を過ぎると、修道院内部で改革が始まり、各地で修道院の建設が相次いだ。どの修道院会派も、美術を信仰の普及手段としていた。しかし、会派ごとに実践の仕方には、図像に否定的な立場で質素な美術、豪華な色彩・金・銀・宝石等の豪華な素材を用いた荘厳な美術など、それぞれ相違があった。
 ロマネスクの教会堂建築は、いぜん古代のバシリカ式(※ローマ人の公共建築の様式)を基本としていたが、構築構想は発展し、多数の参拝者を収容できるようになった。教会堂の石造彫刻や青銅扉の鋳造浮き彫りにも、新しい展開を見せている。それ以前に比べ、神像や人間像の表現が大型化している。側壁や回廊の柱頭の装飾彫刻群は、枠組と有機的な関係を持っていて、人像や動物像は枠組に合わせて自由に変形されている。ロマネスクの形態は、古典的な自然主義と対極にあると言われる由縁である。
 また、各地の写本工房により、黙示録、詩篇集、典礼書、聖人伝、大型聖書等に、優れた装飾や絵画などが残されている。象牙彫、金銀打出、宝石細工などの工芸は、十字架、燭台、祭具等の形で残されている。これらの工芸品は、人体の表現について、古代の浮彫や彫像の伝統の継承と復興に大きな役割を果たした。

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 ロマネスク文化の担い手のほとんどが修道者や聖職者などの人々だったが、
"ゴシック時代"になると聖職者や封建領主以外に、都市に住む裕福な信徒や知識人など広範な社会層の人々が台頭して文化の担い手となっていく。ロマネスク美術が思弁的な象徴的体系の上に成り立っていたのに対し、ゴシック美術は人間的で写実的な表現なのも特徴的であり、このように二つの時代はたいへん対照的である。
 初期の段階ではロマネスク的な性格も色濃く残っていた建築も、12世紀末になるとゴシック様式の大聖堂が各地に姿を見せ始める。大聖堂の建築が実現したのは、肋骨交差穹窿(きゅうりゅう)と言う技術のお陰である。これは、ロマネスク建築で既に採用されていた交差穹窿を内側から補強し、更に外側から飛梁で強化したゴシック建築特有の工法である。この工法は、石造りの重圧を壁面全体ではなく側壁アーチの束ね柱だけで無駄なく支え、柱と柱の開口部を大きく取る事ができる。石材を節約でき、聖堂はより一層巨大化していった。石壁の重圧から開放され、ゴシック時代盛期には優れたステンドグラスによる色彩芸術の傑作が多数残される。ゴシック様式の大聖堂は、キリストやマリアを描いたステンドグラスから、神秘的な光が差し込む石造りの"聖なる森"のような建築物、非常にゲルマン的(正にゴシック的)な大聖堂である。

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 ゴシック期、西欧では絵画の技術が目覚しく発展した。従来の壁画に加え、持ち運びできる板絵が登場。
フレスコ画(壁の漆喰が乾く前に描く方法)やテンペラ画(卵を媒材とする絵の具)、更にファン・エイク兄弟によって油絵も誕生する事になる。
 写本絵画では、教会用の大型聖書等に平行して、裕福な信徒の注文で聖書、詩編集、時祷書等の制作も盛んになった。

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 イタリアではゴシックの浸透が遅れたが、トリーティやカヴァルリーニの大構図壁画、そしてチマブーエや弟子のジォットのフレスコ画、ドゥッチオやマルティーニの板絵祭壇画やフレスコ画によって、段階的にビザンティン様式の脱却が成し遂げられ、来たるルネッサンス時代の礎を築いた。

 14世紀に入ると、教会の大分裂、黒死病の大流行、英仏百年戦争などの荒廃で、封建社会が揺らぐ。大聖堂建造のような大規模な事業も、ほとんど消え去る。代わりに、王侯貴族の城館や邸宅、公共施設など、世俗的な実用建築が目立つようになる。建築はますます装飾性を増し、用途・地域に即した分極化が進む。
 14世紀後半になると、西欧各地の宮廷に
"国際ゴシック様式"と呼ばれる共通の時代様式が展開される。この様式は、正確な自然観察に基づく細部描写華やかな宮廷趣味を特徴とする。また14世紀は、"絵画"が芸術において主導的な役割を担う時代となった。絵画では、国際ゴシックの流れがアヴィニョンの(教皇庁周辺の)シエナ派の絵画が始まり、それらの画風が各地の宮廷社会に展開していった。

 西欧の中世は「暗黒時代」と誤解されていたが、実はこのように文化の揺籃期だった。ギリシャ哲学とキリスト教がスコラ学的に融合し、その後、キリスト教をゲルマン化してゴチック美術を創り出していった、そう言う時代。そして、ルネッサンス芸術へとつながっていく。一括りに「中世」と片付けてしまうには、あまりに幅広い芸術の知識や技術の発展を含んでいる。


 翻って、1世紀ちょっとの歴史しか持っていない映画についてはどうだろうか?建築、彫刻、絵画等の古典的芸術と比べたら、明らかに短い歴史しか持たない映画だが、その僅か100年ほどの中にも時代の変遷がある。2章でも述べたので詳細は省くが、大きな区分としては、①モノクロ無声映画時代→②トーキー(音声付)映画時代→③カラー映画時代→④デジタルシネマ時代と言う変遷を辿って来た。それぞれの時代を(技術革新や表現方法等により)更に細かく区分できるが、大まかな区分としてはこのような4つの区分になると思う。
 正直、無声映画を現代人が今見ても、娯楽として楽しむ事は難しいと思う。私も映画好きとして、スペクタクル巨編のグリフィスのイントレランスからコメディのキャップリンまで、モノクロ無声映画を色々と見まくった時期があるが、素直に「面白い」とは思えなかった。どちらかと言うと、古い映像資料を見ている感覚に近い。もちろん当時の人は十分に楽しんでいたのだろうが、発達した映像技術や表現力に慣れ親しんだ現代人には、それを当時の人々と同じように楽しめと言うのは酷と言うものだろう。
 では、無声映画時代が暗黒時代だったかと言うと、もちろんそんな事はない。芸術における中世の時代がそうであったように、無声映画時代はその後に続く映画芸術の揺籃期であった。無声映画時代に生まれた様々な技術や表現力が、その後の映画産業の飛躍に役立っていくのである。これも2章で述べたので詳細は省くが、「単なる実写映像から脱却した物語化された映画」、「映画における特殊効果」、「長編映画の制作」、「革新的なモンタージュ手法の確立」など、この無声映画の時代に数多くの革新的な技術や表現方法が生み出されていったのである。


 CGIについては、どうだろう?CG史は更に短い歴史である。CGの時代区分は、CG開発やCG映像制作に関わった人々の世代による区分でも可能だが、ここでは技術的・表現的区分を述べたい。CGは、そのスタート地点から様々な技術や表現方法が模索され、20年ほどの短い期間にあちこちで一斉に花開いた観がある。多くのソフトウェアやハードウェアが生まれ(ある物は消え去り)、数多くの様々な表現や使用法が試された。
 CGIの時代は、映画の区分で言うとデジタル・シネマの時代と多く重なる部分がある。"デジタルシネマ=CG映像"と言う事ではない。デジタルシネマの概念はもっと幅広く、今までフィルム主体だった(つまりアナログ的だった)映画技術をデジタル化すると言う事であり、プレビュー映像のデジタル化、撮影のフィルムレス化によるコスト削減、映像メディア変換等に関わる時間の削減、編集やパッケージングの効率化、映像表現方法の拡大、上映のデジタル化(フィルムレス化)による効率化など、準備や撮影から上映までデジタル化の恩恵を最大限に利用しようと言う考え方である。
 CGIは、そのデジタルシネマの中でも大きな役割を担っているのは間違いない。CGIは、デジタルシネマの概念が生まれるよりずっと以前から映画に使用されている。CG映像が映画の中で全面的に本格的に採用されたのは、1982年の"トロン"であると言われる。しかし、CGのコストが高く全部CGIで作る事はできなかった。また、当時はデジタル合成の環境が整うよりも遥か前の映画なので、人物の合成処理は光学のアナログ合成である。

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 1964年~このトロン映画以前を、仮に
"CGの創生期"と名付けておく。この時期の初期、簡単なソフトやハードの開発にも相当の困難を伴い、線を描くのがせいぜいだった。その後、医学や人工衛星の写真解析、CAD等の分野でCGは活用されていく。テレビ(CMや番組)や映画の世界でも、徐々にCGI表現が試されていく。私が影響を受けた1978年の映画版"スーパーマン(第一作)"では、オープニングタイトルで、派手なCGIが使用された。1979年の映画版"スタートレック(第一作)"ではCGI使用が提案されたが、膨大な予算がかかるためCGI使用は頓挫し、従来のアナログ的特撮が使用された(※それから現在まで、まだたったの30年しか経っていないと言うのは大きな驚きである!/ちなみに1977年公開のスターウォーズは、CGIはほとんど使用されていない。スターウォーズの最大の技術革新点は、コンピューター制御のモーションコントロールカメラにある)。そして1982年の映画"トロン"を迎えるのである。このトロン以降の時代を、仮に過渡的な"CG模索期(揺籃期)"と名付けておこう。

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 CGの次の大きな転換期は、アビス(1989年)や、それに続くターミネーター2(1991年)、ジェラシックパーク(1993年)と言った一連のリアルな液体や恐竜のCGI表現が可能になった時期である。この時期を、仮に
"CG革新期"と名付けておく。これらの映画が生み出されて以降、従来はゴー&ストップ(コマ撮り)アニメーションだった恐竜や宇宙人や動物などが、CGIによって本物を撮影したかと見紛うようなアルな映像となって、私たちの目の前に提示されたのである。
 1995年には、フルCGアニメーションの"トイストーリー"が公開される。それまでにもテスト的に短編のフルCGアニメは作られていたが、"トイストーリー"はフルCGアニメとして世界初の劇場公開映画となった。
 その後、映画におけるCGIは、主にこの2方向で伸展していく。前者は、実写映像にリアリティを付加するためのCGI技術を利用する道、後者はCGIそのものによって映画を作ってしまうと言う道。

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 その後のCGI技術の発展は目覚しい。竜巻、津波、ハリケーン、大隕石の襲来…次々と、困難な映像表現が、CGI技術の発展で克服されていく。21世紀初頭の現在は、正に
"CG繁栄期(黄金期)"と言っても良いだろう。CGIの利用は、広範囲に渡っている。暴れまわるモンスターや派手な爆発表現と言った目立つCGIから、シーンにリアリティを与えるために視聴者に気づかれないように施された繊細なCGIまで、その使用範囲は幅広い。そして、フルCGアニメーション映画も、続々と生み出されている。正に、CGI映像百花繚乱時代の到来である。

 しかし、これらの優れたCGI技術も、映画技術の蓄積や、CGのソフトやハードの開発に関わった数多くの先人の苦労があって、初めて開花したものである。それは、ヨーロッパのルネッサンス芸術が、中世の芸術の揺籃期があって花開いたのと似ている。
 芸術家、(より現代的な呼称を使えば)クリエーターは、それぞれの時代の技術の制約下で創作活動を展開している。そして、クリエーター達はその限られた条件内で最大の創作をなすよう努力し、時には新たなる技術革新を成し遂げていくのである。今回は、時代の流れからそんな事を考えた。