美術史とCGの歴史の比較

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4.古代ギリシャと古代ローマの美術から美の規準を考える (2009年5月17日記載)

 "ルネッサンス"と言う言葉がある。意味は、ご存知の通り"文芸復興"である。復興(=再生)と言うからには"何か"を復興させるのであるが、この"何か"とは、古代ギリシャの文化(とそれを倣った古代ローマの文化)の事である。ここでは、まず古代ギリシャの美術がどのように発展し、そしていかなるものであったかを(やや長くなるが)振り返ってみよう。
(※まあ、はっきり言ってほとんど受け売りですが、「西洋美術史/美術出版社」や「哲学の饗宴/NHK出版」等をベースになるべく簡潔にして、この1ページ内に記述する)。

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 地中海地域の最初期の美術は、クレタ美術(ミノス美術)に帰せられる。初期クレタ美術は新石器時代末期から初期青銅器時代にまたがり、周辺地域の影響も濃厚なようである。その後、農業の発展や海上貿易によって繁栄し、壮麗な宮殿が営まれて豪華な工芸品も登場。
 初期の終わりから中期にかけて繁栄したこの宮殿と美術は、地震で壊滅。しかし、クレタ美術は復興して最盛期の新宮殿時代を迎える。この時代の美術の特徴は、"自然主義"であった。人間や、陸や海の生物や、そして植物…明るく自由に表現した。クレタ美術は地震によって再び衰退するが、ミュケナイ美術の普及で広域に普及する(※ミュケナイ人のクレタ島征服がミュケナイ美術に刺激となった)。自然主義のクレタ美術は、形式主義のミュケナイ美術に移っていった。
 一方で、アテネではミュケナイ美術とは異なる幾何学様式の陶器が発見される。しかも単なる幾何学模様ではなく、論理的な組み立てと配置(構成・構想)が認められると言う点で、他の地域の幾何学模様とは一線を画していた。その中で、エジプトやアッシリア等の他地域からの工芸品(※新たな装飾モチーフ)がギリシャに伝わり、ギリシャ美術の表現の幅が大きく広がったのである(東方化様式)。
 こうした幅広い美術様式を背景に、紀元前7世紀頃にアルカイック美術が発展する。直立不動の彫刻人体像は、次第に自然な骨格と筋肉の人体像へと発展。神殿建築も"日干し煉瓦&材木"から"石材"に移り、周囲に列柱を配した神殿が造られ、紀元前6世紀にはアルテミスのような(イオニア式オーダーの)巨大神殿も建立され、浮き彫り彫刻も発展した。

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 紀元前5世紀には、ギリシャ美術に神話画や歴史画などの大絵画が登場した。美術家達は、画面に奥行きのある空間を表現しようと努力し、絵画だけでなく彫刻にも影響を与えた。彫刻は、アルカイック美術の装飾性を残しながらも、よりしなやかで生命力の溢れた表現へと高められていった(※厳格様式と呼ぶ)。この時代はギリシャ美術の黄金時代であり、クラシック時代と呼ばれる。
 アテネ(※アテナイ)は強敵ペルシアを破ってギリシャの覇権を獲得し、都市の整備が進んでいった。(ドーリス式オーダーにイオニア的な優美さを付け加えて)、アテネ市民の精神の結晶であるパルテノン神殿も完成。彫刻も静止像の中に生命感(動き)を与えられた。絵画においては、線的な幾何学的遠近法と色彩的遠近法(※空気遠近法)が結合された。
 建築、彫刻、絵画の各分野において、秩序の中心になったのは
"人間"であり"人体"である。"写実"と"様式"の緊張とバランス関係の中で完成したのが、ギリシャのクラシック時代の美術である。しかし、ギリシャ世界の基盤"ポリス"の矛盾が露になりペロポネソス戦争が始まる頃には、このクラシック時代の最盛期も過ぎ去った。ちなみに、アテネに困難が訪れつつある斜陽のこの時代は、正にソクラテスやプラトン、アリストテレスと言った偉大な思想化達が出現していく時代と重なっている。
 その後訪れたクラシック時代の後期には、個人主義の社会を背景にして美術に革新が起ってくる。人体比例の創案、繊細優美な人間や神々の彫刻表現、どの角度の視点にも絶えうる三次元性を有する彫刻…等々。アレクサンドロス大王の宮廷彫刻家のリュシッポスの肖像タイプは、ヘレニズム時代とローマ時代の彫刻家のお手本ともなったのである。同じく宮廷画家であったアペレスは大絵画の(明暗法、ハイライト、遠近法等の)蓄積を統合して、古代最大の画家と評された。

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 ヘレニズム美術は、初期こそクラシック時代後期の延長線上にあったが、経済活動の活発化、市民の生活向上、ローマの台頭などによって、クラシック時代と一線を画す。紀元前3世紀中頃から、美術の大衆化が顕著となる。富裕な市民は、豪華な装身具を身に付け、住宅を壁画で装飾し、庭に彫刻をおいた。これらは、ヘレニズム王家の宮廷美術の模倣でった(※大衆化の流行のため、古典主義美術の伝統が一時的に途絶えた)。
 ローマが東地中海を実質的に支配するようになると、ヘレニズム美術は「より魅力的で、心地よく、寛大な物」へと変質していき(※文化的等質化)、独自の美術を十分に発達させていなかったローマ人は、この変質したギリシャ文化を継承していくのである(※以下、エトルリアとローマの美術は割愛)。

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 冒頭の話に戻るが、ルネッサンスとはこの「古典古代文化の復興」の事である。当時の知識人は、ローマの没落によって死に絶えた文明が甦ったとする歴史観を持った(※対する"中世"と言う用語は彼等が否定的な名称で使った言葉である)。中世文化(美術)が暗黒的なものであったと言う中世観は今では過去のものとなっているが、古典古代文化の"全面的復活"は15世紀のルネッサンス時代特有の現象である。
 古代ギリシャでそうであったように(いつの世もそうであるように)、"美術"は"思想"と無縁ではない。ルネッサンス美術は、単なるギリシャやローマ美術の模倣ではなく、自然の美や現実世界の価値が再発見された時代でもある。そして何よりも、
"人間性回復"の時代であった。写実性と理想性の合一された古代彫刻の伝統の復活も、この人間の尊厳と再認識と表裏一体の現象である。こうした"人間中心主義"は市民階級がいち早く台頭した商業都市フィレンツェに最初に芽生えた。

 さて、ようやく本題。"美の規準"とは何だろうか?上で見たように、古代ギリシャ美術は様々な歴史の変遷を経て、ようやく一つの黄金時代を築いた。人間を規準とした活き活きとしたそしてリアルかつ繊細な人体表現、数々の過去の技法を集大成した美術…。ルネッサンスは、こうした古代の古典美術に"美の規準"を見出した。
 しかし、それはルネッサンス時代の話であって、"美の規準"(=価値観)は必ずしも一定しているわけでもない。リアルな人体表現の彫刻を「美しい」と思う人もいれば、マティスやピカソの作品のようなリアルとは対極にあるような絵画を「美しい」と思う人もいる。価値観は人それぞれだから、それらを「美しい」と思わない人もいるだろう。
 「真実の美は"自然の中"にこそある」と思っている人には、超リアルに描いた絵画も(ないし写真ですら)自然の風景の美しさには適わないだろうし、どのように優れたオーケストラの演奏も小鳥一羽のさえずりに適わないだろう。彼らにとっての芸術は、自然の模倣こそが最上のものとなる。一方で、「自然に存在するものを"人間の心と眼を通して再構築する事"こそ、真の芸術である」と言う人もいるだろう。
 ユリの花を見て「美しい」と思う心、海に沈み行く夕陽を見て「美しい」と思う心、ミケランジェロのピカタを見て「美しい」と思う心、ミレーのオフィーリアを見て「美しい」と思う心…この世の中に何か一つぐらいは"美しい"と思うものは、誰にもあるだろう。皆それぞれ、まったく別個のものであるが「美しい」と言う思いは一致している。プラトンの哲学ではないが、では「美しい」と言う物の本質的な「万人に共通の美の規準」は存在するのだろうか?「枯れてしまった花よりも、咲き誇った花の方が美しい」と言うように、一つ一つの美しさの価値判断はできても、美しさのエッセンスだけを集めた「美の核心」を語る事はできるのだろうか?残念ながら、私はそれがどのようなものであるか分からない。今後もずっと分からないかもしれない。ただ一つ一つの自然や絵画や彫刻などの具体例の作品を目の前にして、その一つ一つをただ「美しい」と感嘆するのみである。

 これは、映画やCGにしてもまったく同様である。
 映画は(古代のギリシャ美術と同様に)、その創生期以来、百年以上の歳月をかけて少しずつ発展してきた。同様に、CGも数十年の時と共に発展してきた。映画ならびにCGの映像技術は(これからも発展していくだろうが)、今、黄金期を迎えている。もはや不可能な映像表現は無いとすら言われる。美しい映像を求めて、画面の構成や構図のセオリー、配色のセオリー、ライティングのセオリー、動きのセオリーなどが研究されてきた。そう言う個々の様々な"美しい画像を構築する"理論は多々存在するが、その理論をただくっ付け合わせれば誰にでもすぐさま美しい画像が構築できるわけではない。「理論に付け加えて感性が必要なのであり、"美の方程式"等は存在しない」と言う言い方が安易な表現で不適当だと感じられるならば、「最高の芸術に至るためには、超高度な方程式を解く必要がある」と言い換える事も可能だろう。だからこそ、毎回、映像を作る度に、制作者達は生みの苦しみを経験しなければならないのである。そして、最前線にいるクリエーター達は、実際に多くの鑑賞者が美しいと思う映像を作り出している。
 これこそ、古代から中世、そして現代まで続く"美"の探究なのである。「美しい」と思う"絶対的な美の規準"と言うのは、明確な形にして人に指し示す事ができない。しかし、多くの芸術家達がその"美"を追い求め、具体的な作品の"美"として私達の前に提示してきたのである。そしてこれからも、多くの芸術家達が"美"を追い求め、たくさんの作品を生み出して、私達に"美"を提示していくことだろう。
 私も、自分自身の"美の"を追い求めたい。そしてその中で、少しでも具体的な"美しい作品"を生み出したいと思うのである。