美術史とCGの歴史の比較

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1.はじめに    (2008年8月31日記載)

 さて、今回から美術史とCGの歴史の比較を行なっていこうと思う(一部、映画の歴史も含む)。なぜ、そのような論述をする気になったのかについて、初めに簡単に記しておきたい。
 私は、コンピューター・グラフィック・イメージ(CGI)によるアニメ制作を生業としているが、美術大学や美術の専門学校を出ていないので(※経済学士)、アートに関する知識や技術は、ほとんど社会人になってから身に付けたものである。同様に、美術史の専門教育も受けていない。美術に関する知識は、美術館や美術に関する本によって日常の生活から得たものである。現在に至るまで、個人的に美術の歴史に関する知識を少しずつ蓄積しているところ。
 美術史に興味を持ちそれを調べる理由は色々あるが、私にとっての大きな理由は次の点。美術の歴史に、CGの歴史の類似性を感ずる事があるのである。CGの歴史はたいへん短いが、美術が辿ってきた歴史を超短時間で飲み込み、それを消化しようとがんばっている。これからのCGの潮流は、長い歴史を持つ美術の歴史の流れから類推する事がある程度可能ではないのか?CGI制作を生業とする以上、このような理由によって美術史を紐解く事は、決して無理益な事ではないと思うのである。
 美術の歴史と言うのは、それこそ数千年の長い歴史を持つが、一方で、CGIが登場してまだ半世紀も経っていない。本格的なCGIが登場したのは、せいぜいこの20年ほどである。しかし、一度CGIが世に出てからは、ハードウェアやソフトウェアの秒進分歩の発展と共に、驚異的な進歩を見せた。洞窟の壁画、そしてギリシャの古典的美術、中世ルネッサンスの美術、近代美術や現代美術・・・と美術が数千年に渡って経てきた道を、わずかな期間で消化しようといている様にも思えるCGの世界には、ある種の混沌ないし模索が見られる。蛇が獲物を丸呑みして、消化するのに時間がかかりもがいている姿にも似ている。
 これらを、これからのシリーズで、美術史と比較しながら体系的に論じていきたい。

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・体系的に論ずる事が可能なのか?

 と書いておきながら、次の疑問点も提示しておきたい。(美術史と同様に)CGの歴史も、果たして体系的に論ずる事ができるのか…と言う点である。我々は、ある時代の美術とその時代に居合わせた芸術家達を"ルネッサンス期の芸術"とか"印象派の芸術"と言ったように、一定の枠で括りたい衝動にかられる。しかし、その時代の芸術家達が、「自分は古代のギリシャ芸術を代表する芸術家である」とか、「私はルネッサンス期の幕開けを果たした芸術家だ」とか、思っていたわけでは決して無いだろう。それらの多くは、後の人々が様式化したカテゴライズに過ぎない。古代の美術から現代美術に至るまで、芸術に対する哲学が一本の紐であるかのように連綿と続いてきた、と考えるのも幻想であろう。
 同様に、現代のCGを論ずる時も、気をつけなければならない点もそこである。CGIはほぼ同時進行的に、色んな人が色んな画像を生み出してきた。ある物は本物と見まがう超リアルな画像の生成を果たし、一方では可愛らしいキャラクターの画像を生成し、ある時はこの現実には存在しない世界を垣間見せる。私達はそれらのCGについて、スピルバーグ派とかルーカス派とかキャメロン派とかウォシャウスキー派とかピクサー派等と呼んだりはしない。後の時代にそんな風に呼ばれるかもしれないが、少なくとも今はそんな風には呼んでいない。
 巨匠映画監督達が、自らの工房、例えばデジタル・ドメインやILMの職人達を使ってファンタスティックな映画を作り上げているのと同様、中世の巨匠芸術家達も自らの工房の弟子達と共に建築、絵画、彫刻などの芸術作品を仕上げていった。
 現代のCGの世界が混沌と色んな世界を網羅しているのと同様、美術も実は時代時代によって色んな世界を網羅しているはずなのだが、その時代を代表する(と考えられるような)芸術家とその作品群によって、美術史は"〇〇期"とか"○○派"と言った括りをしがちである。歴史の影に埋もれた、その他の山のような表舞台に出ない美術がある事を忘れてはならない。「美術の発展は、連綿と続く一本の糸で紡がれている」と言うような考えは、幻想かもしれない。CG史を論ずる時も、その点を忘れてはいけない。

・どれだけの知識が必要なのか?

 映画を観るのに特別な知識が必要のないのと同様、芸術作品を見るのにも特別な知識は必要なく、個人の感性によって作品を楽しめばよい。スターウォーズを見るのに、どんな映像技術が使われているのかとか、誰がプロデューサーなのかとか、予算はいくらだったとか、そう言う事は知らずとも十分に楽しめる。美術館の美術品も同様である。ダ・ヴィンチの生い立ちや性格、作品の背景を知らなくとも、モナ・リザの絵画を楽しむ事はできる。
 しかし、美術史を知れば、もっともっと作品を楽しむ事ができる。とは言うものの、西洋美術のお膝元のヨーロッパでさえ、美術史を義務教育の必須科目にしているのはイタリアだけで、隣のフランスですら選択科目に留まっていると言う。ましてや、この日本では、美大生でもない限り、まともな美術史の講義など受けている人は皆無に近いだろう。私は高校の3年間、美術を選択したのだが、たったの一度も美術史の講義を聴いた事がない。これは、日本の高等教育の欠点だと思う。日本人の多くが、美術史を知らず、美術に接する方法を知らず(この点では幼児が絵本を見るのと変わりない)、美術館やギャラリーで美術作品を見るに当たり、多くの損をしていると思う。
 芸術家の残した作品世界を、技術や背景も含めて、より深く本格的にしっかり鑑賞するには(※もっと言えば批評や鑑定するには)、技法や製作者個人の生い立ちや背景はもちろんの事、歴史学、哲学、神学、心理学、比較文化学、政治学などを始め、広範な知識が必要となる。残念ながら、美術史家でも学芸員でも企画者(キュレーター)でもない私のような凡人の一市民にとっては、(仕事の傍らに学ぶには)これらはかなり荷の重い課題である。
 美術の歴史と同様、CGの歴史を考える時に、そう言う知識が必要であると言う点のみを心に留め、それを頭の隅において、このコーナーを書き進めて行きたいと思う。