第41回日展/国立新美術館
(2009年12月 4日訪問/12月20日記載)
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約8ヶ月ぶりに、国立新美術館に行ってきました。前回は晴天でしたが、今回は雨…。
雨の中の国立新美術館
先輩の日展画家女史に招待券をいただき、第41回日展を見てきました。日展を長年見続けてきたおかげで、常連さんの入選作の画風を認識できるレベルまでになりました。それぞれの画家さんの画風が確立されていることを"体感"しております。目で見ると即座に脳が反応して、「この人は、確か前回はあの作品を描いたよな~」みたいな…。
先輩女史の作品も、自分の画法や世界観がしっかりあって、(タイトルや名前を見ずとも)僕は会場ですぐに発見することができます。…色あせたようなかつセピアを思わせる色使いで、決してけばけばしい配色にはしない。扱う題材の背景は、異国情緒の溢れるヨーロッパ。タッチも独特で、一目でそれと分かる。
自分のオリジナリティを持つと言うのは凄いことだと思います。一朝一夕には、それはできないですから。今回の絵も、(ヨーロッパの某都市で)バルコニーで外の風にあたり物思いに耽る一人の女性の素敵な絵でした。
41回日展(洋画)入口
ここからちょっと辛口になりますが…以前にも同じ様なこと書きましたけれども…、日展入選作と言ってもピンキリ。「おお!」と思うのも少しはあるけれど、「ん?」と思う作品も多数あって…。「これが入選って、どうなの!?」みたいな…自分の個展で出品するならともかく、公の展覧会でこれ?…毎回思うのだけど、日展の選定基準…そのラインはどこにあるんだろう?
どんな業界でもプロの仕事の現場だと、「駄目なものは駄目」とはっきり言うし、また言われますよね~。例えば、具体的に「このイメージは、クライアントの要望に合っていない」とか、「こことそこを直して欲しい」とか言ったり、また言われたりもします。
しかし、美術の世界は難しいですね。そもそも美術は、人様の価値観に迎合するように描く物ではないし(…まぁ、そう言う人も皆無ではないでしょうが…)、また、ルソーのような先例もあったりして、「この作風や雰囲気の良さが分からないのは、"あなた"が美術を"分かっていない"からだ!」…みたいな(笑)。でも、偉大なる先人の多くは、卓越した職人的技術と経験の向こう側へ突き抜けた人々なんですよね。理解不能な絵でも、決して下手なんじゃない。そこのレベルの達せず、ただ単に下手なものを(お金をかけて見に行く)展覧会で供出されても!…って感じで…って言いすぎかな?
日本の展覧会の内情は知らないけれど、有名な先生の門下生じゃないと入選しにくいとかあるのかな??かつてアカデミーへの反骨心で印象派の人々が頭角を現していったように、既存の組織は名声の上に胡坐をかいて硬直してしまうと、みんなから見向きもされなくなっちゃうよ~。今回、そんなこんなも考えさせられました。