1.心理学から見た悪魔に対する考察 
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 この現代において、悪魔や悪霊を述べる場合、心理学を抜きにしては語れない(しかし、アリストテレスやヒポクラテスからフロイトに至るまでの歴史や、心理学の変遷を追うのが本編の目的でないので、そう言ったものは省く)。まず最初に採り上げたいのは、何故欧州圏の人々が悪魔を見て、中国や日本等の東アジア圏の人々は幽霊や妖怪を見るのだろうか、と言う問題である。ここには、根本的な文化的相違があると考えられる。その文化的違いと言うものを、細かく見てみよう。
西洋の怪談の主人公達は、
①バルカン半島の伝説を基にした吸血鬼ドラキュラ等の系列
②ジキルとハイド、フランケンシュタイン等の狼男の系列
③悪魔そのものの化身か、それに仕える魔法使いや魔女の系列
④それが近代的な姿を採った、ファウスト博士伝説に基づく系列

-等である。一方、日本はというと、
①人に殺された怨霊などの幽霊の系列(②特定場所に現れる妖怪の系列)
が主流となる。まとめてみると、
西洋の怪談の主人公は神の教えに背く輩であり、日本のそれは愛欲のもつれが原因となって派生した輩
・・・である。西洋の幽霊は、キリスト教に対する異端者が主流を占め、日本では個人の怨霊が主流となっているのである(西洋にも個人的怨霊の幽霊もいるが、直接本人に復讐せず世人に公示するタイプが多い)。これらは日本が対人関係での自分の立場を重んじる「恥」の文化圏で、西欧がキリスト教国で「罪」の文化圏である事が強く影響しているようだ。ようは、その国のその人が「悪魔」を見るか「幽霊」を見るかは、社会的要因、心理的要因で変化すると考えられ、心理学的見解からいうと「悪魔」≒「幽霊」と言っても良いと考えられる。
 次にいよいよ本題に入ろう。では人はいかにして、その悪魔を目にし、その囁きを聴くのであろうか。

Ⅰ.幻覚

 環境を認識する知覚が正常な働きをしなくなると、外からの情報は個人に正しく伝わらず、その行動は狂ってしまう。そのいくつかをあげると失語(具体的な知覚はあるが、それが何か分からない)、パレイドリア(雲やしみといったものが、はっきりした錯覚的なものが見える)、幻覚(ありもしないものを、それがあるかのように知覚する)などがある。特に幻覚は、その対象が外界に位置づけられ、一方でそれが確かに現実にそこにあるという現実感を伴う。
 よくパイロットやドライバーの怪談話は耳にするが、これにはいくつかの心理的原因が考えられる。結論から言ってしまえば、これは高速道路催眠現象(ハイウェイ・ヒプノーシス)と呼ばれる現象で、視覚刺激の単調さの長時間繰り返しが大脳の慣性化(慣れ)を起こして、入力する感覚刺激量の低下を招き大脳の覚醒状態が保てなくなり、一種の催眠状態におちいり幻覚を見るのである。これは、「孤立」と「感覚刺激の低下」という二つの条件下で起こる。
 「感覚遮断」実験(人間を外部刺激からまったく遮断する実験)では、個人差はあるものの実験過程において幻聴、幻視、更には被害妄想まで発生することがある-ということがわかっている。狭いコクピットのパイロット、単調な道を運転するドライバー、病院のベッドで長時間入院生活している患者など、単調な感覚刺激が繰り返されると、そういった感覚遮断性の現象が起こりやすい。熟練した山のリーダーでさえ、初歩的な判断ミスをし遭難死する理由はここにある。また「孤立状態」という条件だけが強調されても、幻覚は起こりうる。加えて睡眠不足、飢え、極度の疲労、恐怖などが重なる事によって、色々な変化が起こる。幻覚の性質も真性幻覚ではなくて、イリュージョン(幻想)に近いものが多いと言われている(上記に述べた「感覚遮断」や「孤立化」は朝鮮戦争での洗脳や、身近なところでは現代企業の社員教育《ブレーン・ストーミングや感受性訓練》にも利用されている)。日本の昔話の怪談の多くは、この現象で説明がつくという。
 また幻覚は、集団幻覚を起こすことがある。難破寸前の船の水夫達が全員幽霊船を見たり、水平線の彼方の雲を陸地の影や救助船の煙に錯覚したり、山の遭難に際して集団で幻覚を見たりする-そう言った事が起こるのである。波静かな夜の航海の際、じっと前方を監視している水夫が「感覚遮断性」幻覚によって幽霊船を見、不眠や空腹、極度の疲労、死の恐怖にある一同(彼らは皆運命共同体である)も、共通体験を持っている為に共通の幻覚を起こしやすく、幽霊船を集団で見ると考えられる。山の遭難の例も同様である。
 さてしかし、幻覚は必ずしもこういった極限状況だけで起こるのではない。怪談などの多くは、入眠時幻覚なのである。寝込みに五体金縛りにあって、獣に食われそうになったとか、胸の上にのしかかってきたというような話はよくある。頭は覚めているのに体が動かぬという現象は、いろいろな理由づけがされてきたが、(詳細は省くが)脳幹網様体のシステムが損なわれた時に起こるらしい。レム(Rapid Eye Movementニ眼球運動)睡眠という言葉はよく間くと思うが、この時に夢を見やすい。レム期では、筋緊張が落ち心臓の鼓動が高まり、呼吸曲線が乱れるなどの複雑な自律神経系の変化が起こり、脳と体の睡眠が乖離した状態となる。脳幹網様体の病気でない人も、まれに金縛りに会う。正常な睡眠では、レム期は90分以後にしか出現しないが、不眠や過労や不安、緊張などが加わると、いきなりレム期が現れることがある。レム期には、今述べたように筋緊張が極端に下がるので金縛りが起こるのである。この人眠時幻覚は、真性幻覚(とてもリアルな幻覚)に近く、内容も不安、恐怖に満ちたものが多い。睡眠不足なども、幻覚の原因に成りうるのである。

Ⅱ.幻聴、錯視

 怪談の中には、視覚で見せるものばかりでなく、聴覚に訴えるものもある。「番長皿屋敷」「牡丹灯籤」「耳なし芳一」等々。番長皿屋敷のお菊は、当主播磨に手打ちにされるが、播磨はやましさを感じているので、死体を投げ込んだ古井戸からの幻聴に悩まされ錯乱状態に陥ると考えられる。使用人達にもお菊の声が聞こえたのは、播磨が錯乱するにつれて目撃者である使用人達にも集団感染し、古い武家屋敷に吹きつける風の音をお菊の声としたのであろう。
 また幻覚でなく、錯視による怪談もある。「四谷怪談」などはそのよい例である。伊右衛門は、お岩に対する良心の呵責から逃れるために深酒する。そして、泥酔から他の人をお岩と見間違えて誤殺。また深酒。罪業感から心因反応を起こし、泥酔による錯覚も加わわり、次々に殺人を犯すのである。
 上記の二つの例は、共に罪業感から精神に変調をきたしている例である。心因性の精神異常においては、幻聴が主であって幻視が出現するのは稀である。あったとしても、錯視である。


Ⅲ.幻覚、幻聴等の内容

 幻覚等の原因は、アルコールやシンナー、またLSDなどの薬物によるものを除けば、おおよそ上記で掲げたものが原因となっている。では、人はどのような幻覚を見るのであろうか。ここでは、極端に対照的な一つの例を採って考えてみよう。
 凍死するほどの寒冷と、乾ききるほどの灼熱-この二つを追ってみよう。
 一つは文学であるが、アンデルセンの「マッチ売りの少女」を例にとってみよう(なぜ現実でない文学を採り上げるのかと不思議に思われるかもしれないが、この話は精神医学的に間然とするところがないそうである)。北欧の冬の夜空に、凍死寸前の哀れな少女は、束の間の暖をとろうとすったマッチの淡い炎の中に、まず石炭で真っ赤に熱せられたぴかぴかのストーブの幻影を見、ついで美味しそうなクリスマスの七面鳥の幻影が現れ、最後に自分を可愛がってくれた祖母の幻影を見る。この幻影の現れる順序というものは、まったくその人(固体)の欲求の心理学の原則に従っている。まず①極寒から逃れるための暖房→次に②飢えを満たすための料理→最後に③それら生存に必要な生理的欲求が満たされた後、非情な親でなく優しい祖母を見るという感情的な幻影を見るのである。ハーンの「雪女」も同様である。主人公は凍死寸前で妖しい幻覚を見るが、ここに登場する雪女は、ハーン親子を捨てた父親に対する怒りが込められた、ハーンのエディプス・コンプレックス(同性の父を憎み、母の愛を求める心理)による作品なのである。
 さて、反対に灼熱の状態に人が置かれると、どんな幻覚を見るか。これは現実に、マルコ・ポーロや探検家ヘディスンといった、実際に砂漠で死ぬ寸前までいった人々の記述がある。砂漠の幻覚には、日中の熱砂で摂氏50度近く気温が上がり、夜は氷点近くまで下がるという極限的な環境による脳温の上昇(摂氏34度以下で凍死寸前の幻覚、反対に40度以上でも幻覚が生ずる)に、脱水、飢えによる精神症状などが複雑に入り交じっている。探検家ヘディスンの例では、蛾の羽音が「もう少しで水のあるところにつく」といったような声に聞こえる。また砂丘にいるのに、川辺の森陰に憩っているような夢幻状態に陥る。ついには、水も食料も尽きラクダも倒れる。老人の従者は水を求めてうわごとを言い、あげくに一人でしゃべったり笑ったりし、手で砂をすくい上げては指の間からこぼした。ヘディスンは、何とか生存する。上記の例を見ると、オアシスの幻影は単に熱せられた空気の屈析による砂漠の蜃気楼というだけでなく、脳温の上昇、脱水、飢えなどの極限状況が起こしているということが分かる。これもまた、マッチ売りの少女の例と同様に、水に対する渇望による幻覚である。
 幻覚は、その固体の欲求の順序から決まってくるようである。一般には、まず生命維持に必要な生理的欲求(一次的欲求)の幻覚、次に(生命の危険がなくなって初めて)人に受け人れてもらいたい、認めてもらいたい、愛されたいという心理的な社会的欲求(二次的欲求)の幻覚が現れるのである。
 ドラッグによる幻覚等は、病的防衛のメカニズムによって説明できるものが多い。シンナーやマリファナ(他麻薬全般)に、社会から疎外されドロップアウトした人々が逃げ込むのは、ドラッグの幻覚に一時退行して魂の渇きを満たそうとしているのである。自己の欲求が挫折する時、幻覚の世界に退行して自尊心を防衛するのである。現れる幻覚は、シンナーを例にとると一活き活きとした色彩幻視や「ビルを倒そうとすると、本当に倒れてくる」などの空想幻視、「自分には超能力がある」「他人を支配できる」という万能態と結びつく幻覚が多い。
 精神病者の幻覚も、上記のような病的防衛のメカニズムによって説明できる物が多い。しかしそれだけではない。先の播磨や伊右衛門の例を見ると、彼らは罪業感にさいなまれて心因反応を起こしていた。彼らにとりついた幻覚、幻聴は、自己の良心との葛藤による産物なのである。彼らが見る(聞く)のは、良心の映し出す己の悪行の幻影なのである。
 幻覚の内容は、決してその人の内面と無関係ではありえない。ハーンの雪女の幻想は、母への思慕。アラン。ボーの大鴉の幻影は、幼妻の死の恐怖とマザーコンプレックス、ハムレットが古城で聞いた亡き父王の声はまさにエディプス・コンプレックス等々。幻覚の論理の最後にあるのは、極限状態におかれて露呈した、その人のコンプレックスの影である。現れる幻覚は、日頃複雑に覆われているその人の心の奥底なのである。
 幻覚はまさに、極限状況における、環境とその人の人格との全反応なのである。


Ⅳ.体験談

 非常に簡略にではあるが、幽霊達(西洋風にいえば悪魔)の現れる原因を心理学的な面から探ってみた。実を言うと、私自身もいくつかの怪談を体験しているので記してみよう。

①幼稚園時代(八潮に住んでいた)に、夏の夜に家の前で花火をしていた時の事。花火が終わり、家族が皆家の中に入り、私一人が花火の残骸をバケツに突っ込んでいた。ふと左方を見ると、3メートル程前に火の玉がきれいに360度の円を描きながら回っているではないか。当時は幼すぎて"火の玉"という知識が頭の中になく、まったく恐怖心はなく何周りかするのをボーッと見ていた後、家に入って家族全員にそのことを告げた。勿論、誰もまじめに取り合ってくれず、外に出てこない。そこで、もう一度一人で外へ出て同じ場所を見るともう何もなかった。あの光景は、天の川を初めて見た時と同じくらい鮮烈な印象で今でも忘れられない。

②社会人一年目の夏に、私は不覚にも峠でバイクによる事故を起こし、そのまま津久井湖畔の外科病院に入院となった。そこで一ヵ月超の入院となったのだが、それから20日たったぐらいの時それは起こった。病院は片側を山を見上げる形で建っていて 私の病室は山側にあり、四人部屋であった。病院なので夜は一斉就寝となる。辺りは静まり返り、暗闇の中にベッドがうっすらと見える。と、突然廊下の奥の方から水がボタボタ落ちる音が聞こえる。いや、それは足音なのだ。それは、確実に近づいてくる。そして、それは自分のいる病室の前で停まった。しかし、開いているドアの方を見ても誰もいない。私は、物凄い恐怖にかられて起きようとした。しかし、まったく体は動かない。助けを呼ぶのに声を出そうとするが、まったく声にならない。「助けて」「助けて」と、必死に声を絞り出そうとする。と、その時隣のベッドのおじさん に体をゆすぶられた。私が、どうにか声を絞り出した為だ。おじさんは「どうした。怖い夢でも見たのかい。」と声をかけてくれ、私は「いや、大丈夫です。」と返答してようやく悪夢は去った。

③自宅でも金縛り経験が何度かある。最もおそろしかった例が、草加のアパートにおいて経験した金縛りである。夏だったと思うが、寝入りばなすぐ金縛りにあった。金縛りはある程度経験があったので慣れており、「またか」と言う印象だった。ところが、今度は初めから恐ろしいのである。幻聴なのだが、はっきりと周り中で悪霊達の話す恐ろしい声が聞こえるのである。それも一匹や二匹ではないようだ。私は恐くて、固く目を閉じたまま。面白いことに、早くこのレム睡眠から解かれなければ-というはっきりした意識があった。しかし、まったく眠りから覚めない。恐怖は増すばかりで、今までと違い最悪なのは、実家でも病院でもない一人暮らしのために声を出しても誰も聞きつけてくれないことだ。病院では、起こしてくれる人がいた。高校生の時初めて金縛りにあって呻いた時には、隣の部屋から親が様子を見に来てくれた。今回必死に出ない声を絞り出していたが、誰も助けてくれない。長い時間の葛藤の末、ようやく起きることができた。しかし、気を取り直して寝ると、あっという間にまた金縛りにあった。その夜は金縛りの繰り返しで、とても悲惨な夜であった…。

 さてこれらの体験は、すべて説明かつくものである。まず、①の火の玉であるが、これは純粋に化学の問題であろう。当時、家の近くにはお寺があり、多くのお墓があった。人間には微量の燐が含まれ、これがある程度高温になると自然発火する(お墓で火の玉が多く見られるのはその為だと言われる)。当時は夏で気温も高く、花火もしていたため燐の燃焼が起こったのでろう(ただし、火の玉が円を描いて飛んでいたのは化学的・物理的な知識が不足しているので、理に適った事かどうかは知らない)。次に②であるが、これなどは心理学的に説明かつくものの最たるものであろう。病院という隔絶された場所において、骨折によりまったく動けずベットとてじっとしていなければならないという「感覚刺激の低下」そして、絶えず患者が入れ替わる病室での実質的「孤立」。それに加えて、夏の猛暑(クーラーはコイン投入式で、患者で相談しながら一日数時間しかつけない)、骨折による痛み、慣れない初めての入院生活、会社を休んでいることへの不安-などがあった。こういった事が重なり、とうとう就寝直後にレム睡眠に陥り、人眠時幻覚を見るのである。前に説明したように、人眠時幻覚は真性幻覚に近くとてもリアルで、不安や恐怖に満ちたものが多い。まさに私の例にぴったりと当てはまる。③の例も同様である。とても狭い六畳一間のアパートに長時間居ることによる「感覚刺激の低下」と「孤立性」。仕事による疲れ、夏の猛暑などがかさなり、就寝のタイミングかすれ人眠時いきなりレム睡眠に陥り、幻聴を起こす。とてもリアルな恐怖で、現実かと見まごうほどの体験であった。

 このように、怪談の多くは大抵は説明がつくものなのである。

(2005年1月16日記載)