死の陰の谷を歩むとも災いを恐れじ

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今、老若男女や国や地域や言葉や職業の違いの別なく、混乱と不安が全世界を覆っています。

これを読んで下さっている方々は、会社員でしょうか?事業主でしょうか?学生さんでしょうか?主婦でしょうか?入院中の方でしょうか?
これを書いている私は、個人事業主の2児の父、50代男性です。皆さんと同じように、大きな不安を抱いています。取引先自体に仕事がなく、当然私の事業にも仕事がほとんどありません。今後の仕事は?明日からの生活は?ローンの返済は?借金はこの先、どんどん膨らむの?目に見えない不安の数々です。
私はクリスチャンで、聖書の語る神様を信じていますが、それで不安や恐怖を感じない訳ではありません。皆さんと同じように、不安や恐怖を感じる弱い人間です。

では、そんな私がなぜ教会に通い、礼拝をしているのでしょうか?苦しい時の神頼みなのでしょうか?
私が礼拝に赴くのは、そこに本当の救いと平安があると信じているからです。この世界を作られた神様は、暗闇を照らす光をこの世に遣わされました。それが、イエス・キリストです。イエスは、神の独り子でありながら、荘厳な王宮でも金持ちの豪邸でもなく、暗く臭い家畜小屋で生まれました。イエスは、その人生において、人々の多くの痛みを負い、多くの病を癒されました。そして神様の言葉を、多くの人々に伝えました。それでも人々はイエスを軽蔑し、見捨てました。イエスは、屠り場に引かれていく子羊の様に追い立てられ、十字架に付けられて殺され、墓に葬られました。

イエスが打ち砕かれたのは、私達の罪の身代わりのためです。神から遠く離れ去って的外れな人生を送っている私たちが、本来その罪を追わねばならないのに、イエス自らがその罪を負ってくださったのです。その死によって私たちは、神の前に正しい者とされました。
しかし、神様は死んだイエスを復活させられました。そのイエスの復活によって、私達にも命が約束されているのです。イエス・キリストが復活されたように、私たちにも復活の希望があるのです。時代と共に朽ちて消え去る富でなく、消え去ること無い本物の希望です。

イエス・キリストは、多くの痛み、多くの病を知っています。イエスは、その痛み、その病を担って下さるお方です。愛そのものです。イエス・キリストは、私たちにこう言ってくださるのです。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
 そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」


あなたは疲れていませんか?背負いきれない重い荷を背負っていませんか?
私は疲れます。重い荷で圧し潰されそうになります。イエス・キリストは、そんな私たちを休ませてくださるのです。そこに、本当の安らぎがあるのです。
最後に、聖書の詩篇の言葉を贈ります。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
 主はわたしを青草の原に休ませ
 憩いの水のほとりに伴い
 魂を生き返らせてくださる。
 主は御名にふさわしく
 わたしを正しい道に導かれる。
 死の陰の谷を行くときも
 わたしは災いを恐れない。
 あなたがわたしと共にいてくださる。
 あなたの鞭、あなたの杖
 それがわたしを力づける。」




(2020年4月2日記載)


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