主が共におられる

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 今回、日々の仕事と生活から気づかされた事を書かせていただきます。

 私は、社会人になってからそれなりの年月を経ました。仕事での最初のターニングポイントは、前の職業(銀行員)から今の職業(CG映像制作者)に転職した時です。
 最初に就職した時は、バブル最盛期で金融業が時代の花形でした。私もそれに乗ったのですが、業務や時間に追われる内に、「この仕事を続けるべきか?」「自分の内なる促しと賜物は何か?」を改めて真剣に考え、祈りました。正直に言って、職務に対する不適正も感じていました。そして転職を決意し、実行しました。

 二回目の転換点は、2000年にCG制作工房を独立開業した時です。事務所と設備に、貯金と退職金を全て注ぎ込み、借金もしました。しかし、時代は大不況の真っ最中、仕事が突然増える分けもありません。必要経費で資金が減って行く一方で、収入がゼロと言う苦しい数ヶ月が続きました。食事代は、極限(一食二百円)まで削りました。「もう駄目かもしれない」・・・そんな思いが何度も頭をよぎりました。日中は営業で歩き続け、朝晩は事務所で聖書を読み、祈る日々。
 追い詰められた精神状態の中、一つの事に気づかされます。「あなたの神、主は共にいる」(ヨシュア記1章9節)と言う単純な事実です。社会ではお金を稼いで食べて行く上で、誰でも主なる神以外の「他の何か」に頼っているのだと思います。それが、時に"学歴"や"会社名"や"知識"や"経験"や"お金"などであったりするのでしょう。それらの虚飾が一枚ずつはがされて、最後に残ったものが「主が共におられる」と言う事でした。

 人生の好調期には、誰でも物事を深く考えるのは難しいと思います。実際、教会に足を踏み入れる方で、「ああ、もう、何もかも成功していてバン万歳!」と言う人にはお目にかかった事はありません。私にしても、聖書の言葉を頭で理解していても、腹の底まで染み渡っていない。一方、人は大きな苦い経験を通して、色々と学ばされるのではないでしょうか?それが、ある人にとっては"病気"であったり、ある人にとっては"対人関係の失敗"だったりするかもしれません。私にとっては、それが"仕事"だったのだと思います。仕事を通して、お客様や周囲の人々への素直な感謝、主への心よりの感謝を自然に持つことができました。また、お金もなく傍目には人生最悪に見えるこの時期に、筆舌に尽くし難い大きな恵みをたくさんいただきました。本当に感謝です。

 世間には、「幸せ」になる為の暗黙のマニュアルが未だにあるように感じます・・・例えば、お受験から一流企業入社までの道程もそんな一つかもしれません。しかしどうでしょう?企業の趨勢は時代によって変化しますし、また個々人の賜物・才能はあまりに多彩で豊かです。神様のご計画は、人間の作った小さな方程式に収めるには、あまに壮大だと思います。

 今、学生の方々は、就職が厳しい状況です。社会に出た方も、就労を続ける事が困難な時代です。一人一人が自分の賜物を見極めようと務め、自分の道が何なのかを真剣に考えている事でしょう。主なる神が共にいて、一人一人の人生を導いて下さいますように。
        

(2009年2月15記載/この文章は「交わり誌/2003年5月号」に掲載された文章を本HP用に手を加えたものです)。

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