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幕末の志士達の縁の地を訪ねる (2004年 6月記載)
1996年の4月から6月に渡って、幕末の志士達の(主に坂本竜馬を中心とした)縁の地をあちこち訪ねる機会がありました。しかし、特別に幕末の志士達や明治維新に興味があったわけではありません。"仕事"で、それらの地を訪れたのです。1996年春、日本テレビで、三谷幸喜さん脚本の「竜馬におまかせ!」と言う連続時代劇ドラマが放映されました。坂本竜馬をダウン・タウンの浜田雅功さん、清河八郎を西村雅彦さん、勝海舟を内藤剛志さん、千葉貞吉を伊東四郎さん、千葉重太郎を別所哲也さん、千葉さなを緒川たまきさん、岡田以蔵を反町隆史さんが演ずると言う随分と贅沢な顔ぶれで、この他にも豪華な俳優たちが揃っていました。今思うと、大河ドラマの新撰組の原型みたいなドラマでした。三谷さんは、アメリカン・グラフティみたいな青春群像ドラマにしかったみたいですが、どちらかと言うとポリスアカデミーのような群像コメディドラマに近かったと思います。
僕が以前勤めていた会社が、そのドラマの広報番組(番組のCMみたいなものです)を作っていたのですが、スタッフの手が足りないと言うことで、僕のCG制作の手が開いた時に取材を手伝うことになりました。何故僕に白羽の矢が当たったかと言うと、僕はビデオカメラが扱えて、しかも現場でけっこう臨機応変に対応できる人間だと思われていたからです(元営業マンだったし…)。取材の手伝いと言うより、正確には取材を全部まかされていました。たった一人でビデオや三脚の撮影機材を持って現場に行き、インタビューをしたり撮影したりして、最後に丁寧にお礼を述べ、テレビ局の粗品を渡して帰ってくるのです。
今年になって大河ドラマ"新撰組"を見ていたら、当時訪れた地が急に懐かしくなりました。「そうそう、そこに行ったことあるよ!」みたいな…。そこで、僕が訪れた縁の地をまとめてみました。
東京・千葉周作の玄武館道場址の碑
4月に最初に訪れたのが、北辰一刀流玄武館の道場跡です。玄武館道場は、坂本竜馬が身をおいていたことがある場所です。資料で渡された昔の地名と現在の地名が一致せず、現場に辿り着くのにかなり歩きました。通りの店々で聞き回りながら、ようやく探し当てたのが、とある学校でした…当時、確か幼稚園も併設されていたと記憶しています(※現在は錦城学園高校)。その学校の入口に、道場跡であることを示す石碑が建っていました。
甲府市・清運寺 千葉さな子のお墓
その後、僕は千葉さなのお墓があると言う、甲府の清運寺に車で行きました。千葉さな(orさな子、佐那子)は千葉道場の娘で、ドラマでは竜馬と微妙な関係にある(恋心を抱く?)女性として描かれておりました。
この甲府の取材の時、お寺の奥様が、僕がたった一人で訪問したので驚いておりました。テレビの取材と言うことで、カメラマンや照明さんにディレクター、ADなど大勢のテレビ・クルーが来るものと思っていたらしいのです。ところが、僕がたった一人でカメラを担いで来たものだから、拍子抜けしてしまったようでした。そのお寺で、千葉さなのお墓をビデオに撮らせていただきました。
この後、とても印象深い出来事がありました。僕が撮影した千葉さなのお墓の映像が、宣伝番組だけでなく、そのままドラマの本編でしっかりと使われていたのです!これには、さすがに驚きました。「竜馬におまかせ」のビデオやDVDが発売されていないので、そのシーンを二度と見ることができないのが残念ですが、とても良い想い出になりました。
東京都調布市・近藤勇の生家跡
5月に入ると、今度は新撰組の近藤勇の生家の取材に出かけました。電車に揺られてJRの三鷹駅まで行き、そこからバスに乗って龍源寺で降りました。テクテクと歩いていくと、近藤勇の生家に辿り着きました。ビデオで生家跡と周辺を撮影し、その日はそこの取材撮影だけで終わりました。
長崎・亀山社中前にて(竜馬のブーツを履く私)
5月29日に、怒涛のハードスケジュール取材に出かけることになりました。急遽、取材に行くように言われ、夕方3時過ぎに航空チケットを受け取り、着替えを用意する間もなく、6時過ぎにはすでに飛行機に乗っていて長崎に飛んでおりました。長崎市内に着いたのは、8時過ぎでした。あまりに急の出立だったので、ホテルの予約すら取っていなくて慌ててホテルを探しましたが、観光シーズンではなく無事泊まれました。
翌日の30日、朝一番で亀山社中へ向かいました。眼鏡橋などを渡り、山を登り、ようやく亀山社中へ到着しました。部屋の中や竜馬縁の品等を撮影させていただき、外へ出ると既に昼近くになっていました。近くにある竜馬のブーツに足を入れて眼下を見下ろしました。あいにくその日は曇っていて、市内や港は見渡せませんでしたが…。竜馬とその仲間達は、亀山社中から長崎の港に入ってくる異国の船を見て何を思ったのでしょうか。その日の取材を終え、飛行機で東京に戻りました。
しかし、取材は連日続くのです。翌31日は、新幹線で神戸へ行きました。着くや否や、さっそく取材開始です。今日中に、神戸の取材を済ませなければなりません。まだ、震災の痕も生々しい神戸の海岸沿いを歩き、勝海舟の操練所跡を探しました…もらった資料の所在地表示がけっこう曖昧なので、探すのに苦労しました。地元の人に聞いても、そんな場所は知らないと言います。千葉道場跡の時もそうでしたが、こう言った場所ってけっこう地元の人も知らないものなのです…。操練所跡をようやく見つけましたが、そこには石碑が一枚建っているだけでした。一応、ビデオカメラで写すと、すぐに大阪へ向かいました。夕刻までに大阪市内の撮影を適当に済ませ、大阪市内のホテルに泊まりました。
京都伏見・寺田屋
月は変わって、6月1日。大阪のホテルを発って、京都に向かいました。まずは、池田屋と寺田屋の取材です。この二つって、僕の中では時々ごちゃごちゃになっちゃうんですよね…どっちがどっちだっけ?みたいな…。尊皇攘夷派と新撰組の騒擾があったのが、池田屋の方です。で、この池田屋なんですけど、行ってみたらパチンコ屋になっていました…。石碑は建っていたので一応ビデオで撮影したのだけれど、う~ん、パチンコ屋かぁ…微妙…。
伏見の寺田屋の方は、今もちゃんと現存しています(予約をすれば宿泊もできます)。この日も、それなりに観光客が訪れていました。寺田屋は坂本竜馬が常宿にしていた宿で、後に結婚するお龍さんとのエピソード(※幕府の捕手から竜馬を逃がす話等)が残る場所でもあります。寺田屋は、他にも薩摩藩尊王攘夷派六名が乱闘の末に殺される事件(寺田屋事件)などがありましたね(この事件と池田屋の騒擾事件の二つが、ごちゃ混ぜになっちゃうのだよね~)。この寺田屋の概観や、竜馬が過ごしたと伝えられる部屋、裏庭の小さな竜馬像などを、ビデオ撮影させていただきました。一般の方も、入場料を払えば中を見ることができます。
京都霊山・坂本竜馬の墓
しかし、予定は詰まっています。次に、即座に霊山に向かいました。坂本竜馬のお墓を撮影するためです。またまた山を登り、坂本竜馬のお墓に着いた頃には、既に日が傾きかけておりましたが、無事予定通り全ての撮影ができました。
取材を終えた私は、京都駅で新幹線に乗り東京へ向かいました。最初は、仕事で事務的に始めた取材でしたが、取材を通じて彼らの生きた時代や彼らの考えたことなどに自然に関心が出てきました。依頼、幕末と明治初期の時代のことには、それなりに興味を持つようになったと思います。
僕は取材に関わったと言うことで、「竜馬におまかせ」の打ち上げパーティーに出させていただきました。数多くのスター達がいて場違いに感じましたが、最も印象的だったのが、岡田以蔵を演じた反町隆史さんの引き締まったスマートな身体でした。その頃から、すでにスターのオーラがありました。
こうして、電車と車と飛行機で日本を駆け巡った、僕の幕末志士達の縁の地の取材はこれで完了しました。本業のCG制作と関係のない仕事でしたが、けっこう楽しかったです。
2000年6月17日追記:東京都墨田区の墨田公園にて、勝海舟(勝安芳)の銅像を撮影しました。勝海舟は、墨田区生まれなのですね。
2019年1月16日追記:東京都港区内(赤坂)の勝海舟(勝安芳)邸跡にある石碑と、勝海舟と坂本龍馬の像を撮影しました。
2023年4月22日追記:江戸川サイクリングコースの流山市にある、近藤勇が新政府軍に捕まった「矢河原の渡し跡」を撮影しました。何十回も通っているサイクリングロードなのに気がつきませんでした(汗)。
その後、新撰組の近藤勇らの歴史の展示もある流山市立博物館に行きました♪。