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京 都 (1998年 7月記載)

 京都。そう、関東圏の中学校の修学旅行と言えば、ほとんど京都。中学校生活のメーンイベントである。社会人の今でこそ自由に遠出もできるが、中学生の頃は関東圏を離れることなど滅多になく、京都は本当に「遠出」であった。予定通りのメジャーな名所、二条城・清水寺などを次々と巡る。ほとんど、仏閣関係。もっとも記憶に残ったのは、薬師寺。全員が正座させられて、お坊さんから薬師如来その他の説法を延々聴き、合掌するのだ。ところが、当時キリスト教会に通っていた(※今でも通っているが)私は、担任の先生に話を聞くだけならともかく、そういう仏教行為は嫌だということを告げた。担任の先生は、どんな宗教であれ良いものは良いのだから聴きなさい、と言う。しかし、どうしても抵抗のあった私は、独り立ち上がって外へ出てうろついていた(今思うと聞いておくのも経験の一つだったなと、自分の狭量さに少し後悔している)。先生は見ていたが、見てみない振りをしてくれていた。そんな思い出がある。

修学旅行 中学校の修学旅行

修学旅行 高校の修学旅行

 さて高校生になっても、やはり修学旅行がある。より自立的になって、各クラスにどこへ行きたいかの希望を募った。我クラスの希望は、四国だったと思う。しかし、最終的に学校案の京都になる。先生方も通年通りでないと、手続き、段取り、予算など色々と面倒なのだろうか?初めから京都にしておけば、生徒の意味のない不満もなかったであろうに。かくして、再び京都へ赴く。自由行動が多かったので、中学校で行ったところを極力重複しないように設定していたら、とても地味なところばかり廻ることになった。

白川郷 白川郷


鮎を釣った川 鮎を釣った川

 さて社会人になってから、久しぶりに京都を訪れた。友人と共に、友人の先輩を訪ねていったのである。1993年8月のことである。なんと高速道路を使用せず、軽のカプチーノの運転を交代しながら、夜中国道1号線をひたすら走り続けたのである。朝には、京都へ到着。京都の北、白川郷という茅葺き屋根の民家の残る町を越え、これ以上は民家はない!という村に到着。

 そこでの思い出は「鮎の引っかけ」。釣りに行くというのだが、ウェットスーツを渡される。しかも、ウェットスーツを着たまま山道を登って行くというではないか?これほど、場違いな格好はないであろう(結婚披露宴に、ランニングシャツを着ていくぐらい変である)。かくして、その先輩と友人、私の3名はウェットスーツ姿で、川の上流へ到着。何をするのかと言うと、水に浮かび川の流れに身を委ねながら、引っかけという仕掛け棒で、鮎を引っかけるのである。もちろん私は素人なので、流れながら野生の鮎を引っかけられるはずがない(しかしなんとも言えない浮遊感はここち良い)。結局1匹しか釣れなかった。しかしその先輩は達人と見えて、なんと20匹以上釣った(引っかけた)。私と友人は、へとへと。おまけに、ブヨに体中さされた。都会人には、ブヨに対する抵抗がないので、私と友人の刺されたところはその後1週間以上膨れ上がって、とても痛かった。しかしその先輩は、全然なんともなかったのである。

京都タワーから 京都タワーから

坂本龍馬の墓 坂本龍馬の墓


 1996年6月、またまた京都へ行く。今度は仕事である。テレビドラマの番組宣伝の取材で、東山霊山の坂本龍馬の墓を訪れたのである。この時、初めて京都タワーに登り、京都市内を見渡した。本当に、きれいに区画された街だ。さて次に、京都を訪れるのはいつだろう。


京都府:近畿地方北部。府庁は、京都市。中央部には丹沢山地が広がり、南部に京都盆地がある。北部には、奥丹後半島・舞鶴湾など。農林業を主体とするが、南部は工業化・都市化が進む。また観光地も多い。面積4,613平方キロメートル。