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新 潟 (2000年 4月記載)


 新潟は、我が両親の生まれ故郷。父、母とも日本有数の豪雪地帯の松之山で生まれ、青春時代を過ごした。しかし、僕は生まれる時にはすでに埼玉にいたので、僕は松之山のことを全く知らない。

 新潟と言って思い浮ぶのは、ほとんどスキーの記憶。中学、高校のスキー教室は、石打後楽園。もちろん、それが初めてのスキー。大学時代は、お金もなかったしスキーへ行く車もなかったので、長野のバイトでのスキーぐらいしか記憶にない。その反動からか、社会人になって自分の車を買うと、鬼の様にスキー場へ通う。1988年から1992年がピークで、多い年では一シーズンに10回、そのほとんどが新潟方面だった。

インテグラと インテグラで(1989年)

神立にて 神立にて(1988年)


 しかし、しょせん社会人に成り立て。泊まりで行く金も時間も無いので、金曜の深夜に出発し土曜の夜に帰ってくる強行軍だった。高速道路代がもったいないので、ひたすら国道17号を北上することもしばしば。お気に入りのスキー場は、神立。早朝5時から滑れるスキー場の、草分け的存在だった。その他、岩原、石打、苗場等もよく滑ったスキー場。しかし1992年を境に、パタリと新潟方面に行かなくなる。あまりにも渋滞が激しく、12時間以上の超渋滞を5回も経験して疲れてしまったのだ(特に運転手要員が、僕一人の時は悲惨だった)。それ以来、メインを日光・那須方面に切り替え、現在は福島がメインゲレンデになっている(たまには新潟も行くけどね…)。

石打丸山にて 石打丸山にて(1991年)

舞子にて 舞子にて(1992年)


 スキー以外では、あまり新潟に行っていないなぁ。そう言えば何年か前の夏に、友達3人でバイクのツーリングで、新潟に行ったことがある。テントとキャンプ道具を持っての泊まりの旅行。行ったはいいものの、キャンプ場が見つからなくて、海沿いの道路脇の公園に勝手にテントを張ってしまった。どう見ても普通の公園で、周りには誰もいない…。違和感がある。公園の水道の蛇口から、水をもらって自炊。脇をパトカーが通ったら、やっぱり追い出されるのかなぁ…などと言う心配もしていたが、何事もなかった。夏の新潟の思い出って、今の所それぐらい。後は全部"冬"の思い出。

 さて、新潟へは何度も足を運んでいたが、両親の故郷"松之山"へは、一度も行った事がなかった。しかし、この2000年3月にようやく松之山を訪れることができた。やはり、冬のスキーでだが。

松之山にて 松之山にて(2000年)

松之山温泉スキー場 松之山温泉スキー場


 スキー場の係の人達や食堂の人達が、僕の両親や親戚と同じ方言・イントネーションでしゃべる。当たり前のことだが、とても不思議な感じがした。僕にも、この松之山の血が流れているのだなぁ…としみじみ思う。ちなみに、"バリバリ伝説""イニシャルD"のしげの秀一氏もこの近辺の出身で、松之山温泉スキー場のイラストはしげの氏が書いている(僕の父としげの氏の母が、なんと高校の同級生。父は1991年に、しげの氏の家に行き彼や家の写真を撮り、バリバリ伝説の手書きのイラストとサインをもらって帰ってきた。しかし、父はそれがどういうマンガなのか、しげの氏がどれくらい人気があるのか、理解していたわけではなかった)。

おまけ しげの秀一氏、直筆サイン&イラスト
 しげの秀一氏、直筆サイン&イラスト

 なんか冬のスキー場しか行っていないが、他にも良い場所がたくさん色々あると聞いているので、ゆとりができたら行って見よう。夏の松之山なんかも、良いかもしれない。


★2002年3月追記:久々に石打丸山で滑りました

丸山のゲレンデ 丸山のゲレンデ風景

 さて、仲間と泊りがけでスキー&温泉旅行に行きました。晴れていて、とっても気持ちの良いスキーでした。昔泊まった民宿が、豪華に大変身(※大改築)していて驚きました。


★2012年8月追記:家族で松之山旅行をしました。

 両親が元気なうちに両親の故郷を孫(うちの子等)にも見せようと、松之山旅行を計画。今回は両親も一緒の6名の旅行だったので(わが家のミフィールは4人乗りなので)、ノアをレンタルして出発!

 

 外環から関越に入り、いくつかのPAやSAに寄りながら、のんびりと移動。赤城高原SAの光景(※上記写真)は良かった!午後、関越トンネルを抜けて新潟に入り、清津峡のドライブインでお昼ご飯。へぎそばを食す。そして、両親の故郷の松之山に到着。



 松之山では、まず美人林に寄り、それから森の学校キョロロへ。世界の蝶の他、カブトムシやクワガタなどが展示され、佐藤一善さんに、カヤでバッタを作っていただいた。子どもも喜ぶ。

 

 その後、父の知り合いの家を訪問した後、宿へ到着!温泉に浸かり、しばし休んで夕飯。夕飯後に、再び温泉に入る…。

 

 2日目の朝、散歩をする。道沿いに棚田が広がる。朝食を終えると宿を出発。まずは、親父の卒業した小学校に寄り、学校の前にある父の句碑を見る(※すぐ裏には坂口安吾のもっと大きな石碑がある)。父の句は「万緑の 子等生き生きと 国訛り」。その後、大棟山美術博物館(坂口安吾記念館)に行く。ここは地元の名家の村山家で、坂口安吾の姉がここに嫁いだので、ここに良く来ていたとか…。うちのひいおじいちゃんが、ここで番頭をしていたそうだ。ここは博物館も兼ねているので、歴史的な展示物なども多数ある。村山家の村山浩一博士は、昭和天皇の侍医長で、松之山名誉市民。なので、明治天皇や昭和天皇縁の品も数々展示されている。

 

 そこを出立した後、松之山温泉の湯元を見たり、棚田を見たり、両親の知人宅に寄ったり。その後、湯沢のアルプの里へ移動。ロープウェイで昇り、絶景の見晴らしを楽しむ。そこのレストランで昼食を取り、子どもたちとゴーカートに乗ったりして遊ぶ。



 そうこうして旅も終盤となり、関越に乗って帰路へ。こうして、両親の故郷を訪ねる旅は終わりました。



新潟県:中部地方北東部の日本海側。県庁所在地、新潟市。沖合いに佐渡島がある。山間部は、深雪地帯でスキー場が多い。米の名産地。工業化も、かなり進んでいる。面積12,577平方キロメートル。